再生への旅

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zoom RSS 「縁」・無縁社会という幻想

<<   作成日時 : 2010/04/05 13:34   >>

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帰れない月日の如く初蝶来  玉宗


「縁」

先日NHKで日本の「無縁社会」の現実を描く番組が放映されていた。

地方を出て都会で生きる人間模様にも様々あるのだろうが、地方の疲弊、家族の崩壊、雇用形態の変容、格差社会、福祉保障制度のなどの重層的な問題の中で、そこには自立ではなく、孤立してゆく人間群像があった。
それは明らかに人間一人が立ち向かえる能力の許容範囲を超えている社会問題であるというのが、番組を見終わった後の、私の偽らざる感想ではある。

「無縁社会」の影響、それは宗教界へも例外ではなく、公益法人の税制見直し、檀家制度の放擲、孤独死、墓地の無縁化、葬祭業の躍進、血縁関係のない者同士が共同墓地に納まろうとするのも、同じ土俵での社会現象ではなかろうか。
「自己責任」という言葉も当然そのような文脈の中で深化し、変容し、汚され、再生し、確立されてゆくのだろう。
そして「無縁社会」という言葉に組み込まれた仏教用語の「縁」という言葉も、どこまでも「社会問題」の要素の一つとしてだけ注目されていくのだろうか。

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この世は「縁」だらけだというのが「いのちの真相・生きている今の事実」への宗教の認識である。本来、有無を越えている。「縁」は本質的に選ぶことが出来ない。選んだり選ばなかったり、選ばれたり選ばれなかったりすることもひっくるめて「縁」の在り様だ。あるがままに生きること。それは欲望を越え「縁」のままに生きることにほかならない。

確かに「無縁社会」は個人の力量を越えた「社会問題」である。今後、「社会」は智恵を尽くして問題解決へのアプローチをしてゆくことだろう。然し、大事なことは、「社会問題」解決のベクトルが「社会」から「私」だけではなく、そしてまた「私」から「社会」の方向だけではなく、「私」から「私」への方向を持たなければならないという事だ。
それは「縁」を生きている「私」にとって当然の帰納でなければならない。

全体とともにあるからこそ一部であるような一体感と距離感。そんな「いのち模様」を仮に「私」と呼んでいる。不思議と云えばこれほど不思議な、有難い「言掛り」もない。私が「一」としてあるのも、多くの「縁」に囲まれているからであると言わざるを得ないのだが、上述のような問題が社会化したり、或いは問題が社会化するとは「私」にとってどのようなことなのだろうかと思う。

現実というものもまた幻想であることが多い。






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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
虚子の忌や猫は甘噛みしてをりぬ    よし
yoshiyoshi
2010/04/05 14:36
> 管理人様

或る意味、戦後というのは、こういう繋がりを旧態依然なるものとして否定してきた歴史であったように思います。よって、今更騒ぐっていうのも、遅きに失しているんじゃないのかな?と思います。それから、「無縁」という語は、仏教的には決して悪い意味ばかりではありません。むしろ、縁を恣意的にしないという意味で、「大慈悲」の心を示す語だともされています。マスコミは、折角「無縁」という語を採り上げるのなら、そういう考察があっても良いと思いますね。網野善彦先生の大きな研究成果もあるわけですし・・・
tenjin95
2010/04/05 19:24
網野善彦先生の講演を思い出しました。
たった一度聞いただけですが
今も心に残っています。

私は小さい塾の中で勉強を始めました。
教科書の一つは
「エンデの警鐘 地域通貨の希望と銀行の未来」
試みにそのグループの中で
地域通貨を発行して
メンバーが出来るサービスを
取引?しようとしています。

私は通貨無しで
サービスをバーターしたいと
思っていますが
軽みと面白みがないと周りに広がらないので
皆に従ってみることにします。

遅々とした(月1の勉強会)試みですが
いつかほんの小さいコミュニテイにでも
なにかしらの絆を取り戻すかも・・・・・?
知れません・・・・・




いらくさ
2010/04/06 01:33
市堀玉宗さん おはようございます

私が永代使用で借りている墓地は、
地区の管理地ですので、私の菩提寺以外のお寺が
管理していますと看板は書いてあります。
可笑しいと言えば、可笑しいのですが・・。
私には関係が無いのでほってありますが。
ここのお寺が言うのは、無縁になった
お墓は勝手に処分するようです。
永代使用料は払っていても、これで良いのか、
我々から見たら淋しいことです。
その上にまた新しい墓が出来るのです。
あまり深く考えたくありませんね。
陽だまり
2010/04/06 06:09
よしさま。虚子の忌は確か4月8日でしたでしょうか?甘噛みですか、そう言われればそんな感じの花鳥諷詠ですね。なんのこっちゃやら。(笑)
tenjin95さま。
網野善彦先生というお方の存在、私恥ずかしながら存じ上げませんでした。日本史観に大きなインパクトを投げかけたお方のようですね。「無縁者」としての生き方、執着を離れた存在者、真の自由人が歴史のテコになっていたということなのでしょうか?不勉強ですいません。機会があったら本を読んでみたいです。
いらくささま。ということで、高卒の私には網野善彦先生とお会いする機会もございませんでした。
陽だまりさま。命の繋がり、と云うものへの思いが希薄になっているのでしょうか現代は。そんな気が致します。合掌
市堀
2010/04/07 14:50

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