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zoom RSS クロスカップリング・仏教は平和の触媒になれるか?

<<   作成日時 : 2010/10/21 05:25   >>

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唐梨に奈落の如き空があり 玉宗

触媒を使い異なる有機化合物を結合させる技術を開発した研究者にノーベル化学賞が贈られ、「クロスカップリング」と呼ばれる化学反応が注目を浴びた。

数日前の北国新聞には青木新門氏が、『十七条憲法』の第一条に「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の建国精神について書いていた。元は「礼記」儒行の中にあることばだそうだが、仏教の教えが柱となっていることを指摘している。それは既によく知られる所であるが、「クロスカップリング」に擬えて、「仏教」が争いの絶えない人間社会の平和への触媒になれないものかと期待を寄せている文章が載っていた。仏教詩人らしい目の付けどころである。

争いのない社会、それを個人の内面からアプローチしていこうというのが仏教だと私は思っている。「平和」という「共通の理想」が先行するのではなく、私の中に「争うことは意味のないものだ」という諦念が根のように育まれていなければならない。「戒律」とはそもそも自己に随順し柔軟心を養い身につけるものではなかろうか。私が私の命に親しみ、深まりゆく生き方。そして、あなたも。というのが仏教のスタンスではなかろうか。そこには「争う」理由が本来的に存在しない。

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誰も私に代わって私の命を生きてはくれない、という絶対的な条件は皆同じである。同じ条件ながらどうして争いが起きるのか?
「争い」は執着するべき「自分」を認めるから起こるのであろう。在りもしない「私」という幻影に酔い、身を焦がすのである。そのような思いは思いだけでは済まない。行為を伴い具体的な結果となって我が身に還り人を傷つける。「思い通りにはならないが、やったようにはなる」

自己を虚しくして観察すれば、現実は「俺のもの、おまえのもの」という強引で、二者択一的な生き方とは大分様子が違う。自己が自己に落ち着き、「わたし」という「のぼせ」を冷まさなければ、「平和・正義・主義・主張」という「集団的幻影」に暴走するのは目に見えている。仏教という「教え」が「平和」の触媒となるかならぬか、それはどこまでも私一人の命への深まりに関わっている問題である。




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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
> 管理人様

どなたか、この「クロスカップリング」を題材に、記事を書かないものかと思いまして、各仏教系ブログを見ていましたが、拙僧の調べではこちらが最初のような気がします。始めから同じモノではなくて、異なるからこそ結びつけるというのは、従来のあり方ですね。今回の場合には、近いからこそ結ぶのが難しいという状況で、どう実践していくかという話になりますが、触媒にしても、その属性(自己)問題にしても、この技術をメタファーとして、仏教と重ねていくと、お話しにも使えそうです。
tenjin95
2010/10/21 07:46
おはようございます
 クロスカップリング・・・人間社会にも必要ですね。
湘次
2010/10/21 08:41
こんにちは
カリンの写真ですね。

祖父の庭にはマルメロがありました。
そのなつかしい庭は
「庭」から「ガーデン」に変わっている?
かも知れなくて・・・・・
見に行けません(笑)

ここから一番近い所にある
柿の木の写真を撮りました。
熊の歌を付けました。
いらくさ
2010/10/21 10:12
人なぞは地上の塵か出水川    よし
yoshiyoshi
2010/10/21 12:39
深く肯く一遍でした。
外界に胸騒ぐ思いをしつつも、「自分」にフォーカスしたいと思います。
まのじ
2010/10/21 12:42
みなさま、コメントありがとうございました。

 tenjin95さま。
全く違うというのではなく、近いからこその困難さ、なのですね。肯心自ら許すところがなくてはなりませんね。

 湘次さま。
理論は全く解っていないのですが、まさに法を説く喩えとして面白いかなあと思いました。

 いらくささま。
秋を散策しているご様子ですね。熊に気をつけてください。

 よしさま。
一句ありがとうございます。
「秋出水車が浮いてゐたりけり 玉宗」

 まのじさま。
自己の決着が先ず先決というのが禅の姿勢ではないかと思っているのです。ある意味、非国民です。(笑)

合掌
市堀
2010/10/22 22:35

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