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zoom RSS 寺院仏教について考える・「お寺はもういらない?」

<<   作成日時 : 2010/11/14 07:29   >>

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纖月に首持ち上ぐる濡れ落葉 玉宗

21世紀の仏教を考える会代表・藤木隆宣老師が発行人となっている仏教企画通信は今回で22号になる。毎回、曹洞宗門だけではなく、日本仏教や宗教者、そして日本仏教の抱える問題点を抉り出し、宗門だけではなく広く世に問い掛けている。それは宗門人という枠を超えて真実の生き方を求め実践しようとしている老師の姿勢そのものであろう。

今号は「仏教文化研究の課題(9) 現代の寺院仏教論について」と題して、駒澤大学名誉教授・文学博士の佐々木宏幹先生の寄稿文が載せられていた。その中に「寺院仏教」というジャンルの捉え方があることに遅ればせながら注目させられた。

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標題になっている「寺院仏教」の定義であるが、佐々木氏は先ず以下のように切りだしている。抄出する。

「近頃よく目につくのは、日本の「寺院仏教」をめぐる各種マス・メデイアのいささか喧しい感のある問題提起や予測、提言である。ここであえて「寺院仏教」という語を用いたのは、ます・メデイアが注目し問題化するのは、例外を除いて「教理仏教」や「思想仏教」ではなく、日本人の大半が様々な形で関わり「生活化されている仏教」を示そうとしているからである。

「教理仏教」や「思想仏教」は専門性の強い領域であり、この領域での問題提起や提言は、学者や学僧たちのよくするところで一般の人たちには手に負えないジャンルである。これに対して「寺院仏教」は概して日本人一般の仏教であり、「俗人」と蜜に交わり、ある意味では「俗人」に支えられている仏教である。
したがって「寺院仏教」はつねに社会的、経済的、政治的問題と無縁ではなく、たえずそうした諸問題に曝されて仏教なのである。現今「布施」が関心の的になっているのは、まぎれもなくその証左であるといえよう。

ここでいう「寺院仏教」はより具体的には「住職・寺族・檀信徒仏教」と言い換えることも可能であろう。そして現代にあって問われているのは、右の意味での「寺院仏教」の現実の在りようであり、その将来性である。 」


仏教が「教理・思想・寺院」のジャンルに分けて捉えられていることに首を傾げるお方もあるかもしれないが、教理が人間社会に根を張るには「寺院・僧侶」という末梢神経が必要不可欠であったということ。ある意味、それは自然発生的な事であっただろう。お坊さん以外の誰にも顧みられない仏教というものは可笑しなことだ。要は現代、一般の人が「寺院仏教」を必要としているのかいないのか、そして寺院側がその本来あるべき姿との乖離が顕著になってきたのではないかという問題提起の文脈に添うものであろう。

私のような、安閑と「お寺さん」をしていること自体が大いに問題であると糾弾する社会が目前に迫っているらしい。


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様々な寺院仏教論が横行している中で最近特に佐々木氏の目を惹きつけた極め付きがあったという。
週刊誌『アエラ』の「<お寺>はもういらない!」(朝日新聞出版、2110・10・11)という特集記事である。
『アエラ』の主な内容は「お布施の目安の明示」と、布施の額が明示されれば、それはサービスの対価とされ、当局の「課税の対象になる」との二点。後者には「寺院の公益性」として既に各教団で論議されている。朝日は『アエラ』以前に夕刊一面トップ記事で「お布施の相場 明示ダメ?」を掲載している。

既にご存知の方も多いかの知れない、事の発端は大手スーパーのイオンが昨年秋に葬際事業に参入し、この春には「お坊さん紹介サービス」の一環として「お布施の目安」をHPで公表したことに始まっている。

それは例えば次のようなものである。

「お布施 25万円 読経一式[通夜・葬儀・初七日法要(葬儀当日)・火葬場炉前の読経まで]+[普通法号[普通戒名(信士・信女)又は普通法名](普通戒名にお布施はいただきません)

「お布施 55万円 読経一式[通夜・葬儀・初七日法要(葬儀当日)・火葬場炉前の読経まで]+[院号居士大姉戒名、又は院号法名」

このほかに40万円と10万円(直葬)がある。」


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このような葬儀の「商品化」に対して、当然のことのように仏教界では大問題となり、全日本仏教界では「お布施という信仰の核心部分が、僧侶へのギャラのように表示され、商品化された」と猛反発したという。イオンはその後HPの内容を削除した。

ことほど左様に「寺院仏教」の在り方は社会的、経済的、政治的関心と無縁ではあり得ない問題であることを如実に表した出来事であった。
佐々木先生は宗門の碵学でもあり、基本的には「寺院仏教」を現代に再生させようという思いが御有りであろう。それにしても、「寺院仏教」の現状を謙虚に把握しなければならないという、学者にして僧侶でもあるご自身の良心が覗える。

佐々木先生は一連の対応について次のように括っている。

「いずれにせよ、布施の問題は「寺院仏教」の運営を左右する大きな現実的テーマである。
それにしても宗教心や宗教信仰をも「商品化」しようとする現代社会の在りようは実に深刻である。仏教界はただ布施の理念を掲げてこの問題に対応するだけでは不十分であることを自覚し、現代の「人間の問題」に改めて迫ることが肝要であろう。
そしてこの「人間の問題」は、仏教者みずからの問題でもあることは言うまでもない。」


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そして、「寺院仏教の現在」という項目の中では次のような目線を将来に向けておられる。

「社会も文化も時とともに変化・変容することは当然であるが、こと宗教(仏教)に関して「変化」が「持続」かを二分論的に速断することには慎重でなければなるまい。
地域的なバリエーションがなお濃厚に見られるからである。こうしたバリエーションのなかで「寺院仏教」はどのように努力し活動しているのであろうか。社会の変化に対応しつつ伝統的な仏法の基本的要素はできるだけ遵守することを目指している「寺院仏教」の僧侶は、私の知る限りでも決して少なくはない。」


その一つとして、広島県呉市の曹洞宗寺院・神応院の伝道活動を紹介しているがここでは割愛する。そこには住職・寺族・檀信徒との交流が綴られている。それは畢竟、人心の交流であり、そして、それを為し得る、各自の人間力・宗教力の強さ、確かさに帰するのであろうと思わせられるものである。「寺院仏教」を「論」としてだけ捉え、云々するのも大事であるが、「寺院仏教」の現場に教わる謙虚さもまた大いにあって然るべきであろう。

そして、「お寺はもういらない」というマスコミの煽動も、対岸の火事と笑うのではなく、「人間の問題」として、仏教者みずからの問題でもあることを忘れてはならないと思う。お寺を必要としなくなっているのはお坊さん自身ではないのか、と自問自答してみるのも無駄ではなかろう。



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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
白菜が振り別け荷なりお坊さん   よし

この世には不用なものなどありはせず
安い外野席が一番煩いものではございます

棺桶が最後の寝床冬ざるる    よし
yoshiyoshi
2010/11/14 08:45
寺院仏教は十分に必要であると私は思いますが、願わくは死者に関するセレモニー専門だけでなく、生きている人のためにも活動してほしいと思います。たとえばこのブログや俳人としての活動のように。
志村建世
2010/11/14 23:27
無教会主義(キリスト教)の考えに似ていますかね。教会は建物ではない=明治の開国後、内村鑑三に引っ張られて明治の浄土真宗は宗門改革運動が起きましたね。哲学=教理の部分を如何に伝える場にするか?寺院は要らない=葬儀屋さん・・・綺麗な葬儀ホール流行し、イオンも其処に目をつけたのでしょうが、お寺の伽藍は何を目的にあるのか?大きな建物が必要なのか?偶像である仏像が盗まれる事件など世相も金金金の拝金主義の時代・・・末法の時代の仏教なのかもしれませんね。良い記事でした。
このコミュも金塊ですけど(キ教仏教なんで...
2010/11/15 07:11
永代供養とかよくききます
寺子でなく墓も持たない、人達がお寺さんにお願いして五〇年供養をしてくださるとか
お代といったら叱られるかな
一〇〇万から二〇〇万程度
先日友達がやっていただいたと私にお墓を見せてくれた
子供もいないしそれが、良かったと凄く喜んでいた
何回忌何回忌の法要も心配しなくていいとのことだった、、いろいろ考えると、、イイナ〜〜と、思った
お寺もお坊さまもいろんな意味で必要だと思います
ナズナ
2010/11/15 11:46
みなさま、コメントありがとうございます。合掌

 よしさま。
必要があって、それぞれの役目が生まれて来た筈なのですが、お役御免というのも時代の流れでしょうか?必要としない者、縁なき衆生は度しようもないのが現実ですね。

 志村建世さま。
お寺の独自性、死者に関わることだけで、もう充分に独自性があると思い込んでいてはいけませんね。お釈迦様はお葬式などしなかったようですし、時代に受け入れられる「布施行」を実践していきたいものです。

 ナズナさま。
ご無沙汰です。
お布施の額が、高いとか安いとか、そうでもないとか、いろいろな反応があるのですが、本来、施すものと受ける者との信頼感に裏打ちされているものでなければなりませんね。

 このコミュも金塊ですけど 様。
各宗派にもそれぞれの教理と現場の問題があることは想像に難くはありません。畢竟、人間の問題であることを、何度も反省しなければならないのでしょうね。
お釈迦さま、イエスさま、親鸞さま、という人間がひとりいて、世界が収まっていた事実。思えば凄いことですし、羨ましい時代でもあります。
市堀
2010/11/15 13:32

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