再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 寺院仏教について考える・その2「再び、公益性とは何か?」

<<   作成日時 : 2010/11/16 04:28   >>

トラックバック 0 / コメント 6

画像


賽銭に混じる落葉を選りにけり 玉宗

先日も紹介した仏教企画社の「現代の寺院仏教論について」の記事を元に検証していきたい。今回は以前にも拙ブログでも取り上げたことがある「宗教法人の公益性と課税」についてである。

仏教界で公益性の問題をめぐる議論が盛んになったのは、行政による公益法人制度改革があったからだで、この制度改革が宗教法人にも及び、何か公益にかなう活動をしていないと「公益性に欠ける」とされ、宗教法人課税の議論が必ず出てくるというのである。

『アエラ』では洗建氏がこの問題について次のような注目すべき意見を述べている。

「わが国では非課税と公益性が関連づけられ、「非課税の根拠は公益性」という考えが定着している。しかし、課税と公益性は本来関連していない。外国では営利法人と非営利法人という分類が一般的で、前者は利益を分配するが、後者は剰余金が出ても翌年度に繰り越すので、課税対象とすべき収益がなく税金がかからない。

したがって、宗教法人は公益性があるから非課税なのではなく、非営利性ゆえに非課税なのである。しかしわが国では「非課税なのだから公益的でなければならない」といった強迫観念が定着している。
「もちろん、信仰からくる動機で公益的な活動をすることは評価されるべきである。ただし、課税されるかも、という外圧によって、どんな活動、貢献をすべきかを探している現状は本末転倒であり・・・宗教を歪め、その特性を殺してしまう危険性をはらんでいる。」


画像


「公益性」ということで私が思うのは、道元禅師のお示しである「修証義」の中の一節でもある「治生産業もとより布施にあらざることなし」という言葉である。政治経済、司法行政、商業農業工業、一般社会の万般の行事も又「布施行」であるというのである。「公益性」と「布施行」を全く同一であるとは云えないかもしれないが、「私無く、公的なものに尽くす」という意味では同じ真心の世界の話しではなかろうか?

課税も又、公的なものであり、宗教界といえども応分にその「布施行」を積まなければならない。言い方を変えるならば、どんなに小さな営利会社であっても大いに「社会貢献」している現実があるということだ。「公益性」なるがゆえに「非課税」という根拠は不十分であると言わざるを得ないのではないか。というより、宗教における「公益」とは「数量」に換算できたり」、できなかったりするものではない。

国家が宗教法人に非課税の免罪符を与えたについては色々歴史的な経緯があるのだろう。課税の形態も時代と共に変わってきているのではないだろうか?そういう点から云えば、洗建氏が指摘する「非営利法人」なるがゆえに「非課税」というのは、宗教活動の無償性、活動が手段であり目的であるとの趣旨にも添うものではないだろうか。平たく言えば、お坊さんは儲けてはならない、貯めこんではならない、商売してはならない、という戒律に添うものでもあるということだ。

今後、宗教本来の活動と宗教法人との線引きが厳密化していくであろうという指摘がある。葬祭業者と僧侶とのよろしからざる関係が噂になって久しい。やはり、ここでも、お坊さん自身の人間性、宗教性が問われている。
拝金主義が幅を利かせている現代にあって、お金にも権威にも偶像にも頭を下げない、お寺という非課税の領域、浮世離れした領域があってもいいのではなかろうか。命に関わるものすべてがお金に換算できるというのも、人間の傲慢さ、愚かさ、錯覚以外のなにものでもないと思うのだが。




よい記事と思われましたらポチっとお願い致します。合掌
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ





テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
ご無沙汰しております。
佳き日に記事を拝読。
なるほどと唸る記事でした。

>命に関わるものすべてがお金に換算できるというのも、
>人間の傲慢さ、愚かさ、錯覚以外のなにものでもないと思うのだが。

同感です。
お風邪をひかれませんように。



まほ
2010/11/16 08:35
おはようございます
「私無く、公的なものに尽くす」という意味では同じ真心の世界の話しではなかろうか・・・最近は同窓会や吟行の世話のボランティアみたいなことばかりやっています。これも公的なものに尽くすのかなと思っていますが。
湘次
2010/11/16 08:45
石蕗や己尽くして光りけり   よし
yoshiyoshi
2010/11/16 10:02
おはようございます。
風邪はもう大丈夫でしょうか?

会津見知らず柿は
渋抜きをして1個1個和紙に包んで
毎年皇室に献上されます。
その昔足利将軍に献上して
未だかかるかかる美味しい柿を知らず
と賞賛されたことから名が付いた
という説があります。

もっと有名な柿
もっと美しい柿
もっと甘い柿は
沢山ありますが
多分日本一美味しい柿です。

枯葉のシリーズが出来ました。
町なかの街路樹はそれほど
種類がなくて綺麗な写真が
撮れないです・・・・・
いらくさ
2010/11/17 05:13
> 管理人様

宮城県栗原市にある拙寺などは、それこそ「労働基準法」の最低賃金に当て嵌めますと、実際のところ「人件費すら充当できない」程度の収入しか無く・・・課税は今後も永久に不可能でしょう。一般の企業でも、赤字の場合には事業税が課税されないと聞いたことがありますので。
tenjin95
2010/11/17 06:43
皆様、コメントありがとうございました。合掌

 まほさま。
お元気ですか?ご無沙汰いたしております。
冬になってしまいましたね。
命とは「今より他になかりけり」、それにしても、時光の速やかなること。お大事に。

 湘次さま。
持ちつ持たれつの世の中ではありましたね。私にできる御役目があるということは幸いなことです。当然、権利と義務も伴うのでしょうね。ご活躍を。

 よしさま。
「石蕗の花の眩しき日なりけり 玉宗」

 いらくささま。
身知らずの柿、是非、一度食してみたいものです。(笑)
足利将軍が褒めたのですか・・よく解りませんが、文化人でもあった将軍様でしょうから、食文化にも通じておられたのでしょうね。
それにしても、食べたい!

 tenjin95さま。
法律的な事はよくわからないままに、記事にしてしまいました(冷汗:)
お金のことになるとオロオロするのは、お里が知れると言うものですね。お恥ずかしい限りです。お見逃しください。(笑)
合掌
市堀
2010/11/17 16:12

コメントする help

ニックネーム
本 文
寺院仏教について考える・その2「再び、公益性とは何か?」 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる