再生への旅

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zoom RSS 人間らしさを言う前に

<<   作成日時 : 2010/12/15 04:36   >>

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暮れてゆく音の中なる煤湯かな 玉宗

人間らしさとは何だろう、というような設問はよく耳にするし、自問することが多い。それも大事なことであるが、同時に、人間らしく生きることが疑いもなく当たり前なのであろうかと思いを致すことも、より一層に人生にとって不可欠な自問ではないだろうかと思っている。
お釈迦様の実践された中道の生き方は、人間らしいだろうか?
私の結論を言えば、釈尊の生涯は「らしさ」に振り回される人間の危うさ、愚かさに警鐘を鳴らした生涯であったのだと思う。

他の動物や植物や無機物にはない、人間をして人間たらしめている様子、癖、行動様式のようなものは今更言うまでもなく確かにあるだろう。その余りにも多様で始末に悪い人間らしさに神様さえ手を焼いているのではないかと思われるほどだ。卑近な日常生活の中の知情意に纏わる人間らしさ。集団や国家、主義・主張・正義などに及ぼす人間らしさ。大なり小なり、陰に陽に、宿命のごとき「らしさ」の現実がある。

「考える」作業は人間らしさの最たるものであろう。そんな人間の特権が齎す世界がある。その特権が築いた文化文明を手にしたその行動範囲は無闇に自由自在で、そして危うい。その特権が構築したバベルの塔からの展望は無闇に明るく広く、そして殺風景であり、寂しい。奈落のような冷やかな世界。それは神様の真似をして行き着いた果ての「人間らしさ」の生み出した風景である。

人間らしさ、それは猫が猫らしくあるように、糸瓜が糸瓜らしくあるように、他にとってかわることが不可能なように見える。しかし、人間の「らしさ」というものは、極めて自然にとっては画期的にして不都合な、前代未聞にして自家中毒的な能力のようにも思える。それにしても人間のいのちは、人間の命らしく自然に反応してきたのには違いない。

人間の「らしさ」「特権」は確かにあるだろう。願うことなら、特権が人間を更なる傲慢な自然児の凶器にならないようにと祈るばかりである。





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コメント(3件)

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魴鯡の泣きべそ顔で売られたる      よし
yoshiyoshi
2010/12/15 05:24
おはようございます。
母の猫が車にはねられて
死んでしまいました。
今年は叔母の猫も
姪の犬も・・・・・

今朝は6時頃
流れ星をひとつ見ましたよ。

>合歓咲ける郷に老母を寝かし置く
この句が好きです。


いらくさ
2010/12/15 08:33
 よしさま。
一句ありがとうございます。
「冬の猫真面目に生きてをりにけり 玉宗」

 いらくささま。
コメントありがとうございます。
そうでしたか。
星河の夢を抱いて眠っていたのは彼らだったのですね。
逝ってしまったものの数ほど星は煌めいてほしいです。
能登は雪になりました。星を見上げることも少なくなりますが。
白い溜息を吐きながらいきてゆく日々が続きます。
お大事に。
合掌
市堀
2010/12/16 11:39

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