再生への旅

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zoom RSS お坊さんが煙草を吸うのは破戒か?

<<   作成日時 : 2010/12/16 04:40   >>

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雪安居蛹となりて夢の中 玉宗

煙草の大幅値上げに伴い、禁煙した人のうち、四人に一人が挫折したそうである。
私はお酒はご法事で軽く戴くくらいである。煙草に関しては全く吸わない。というより、三十歳でピタリと止めた。我ながら潔い見切りであった。今では酒も煙草もなくても生きてゆける。

実は喫煙も飲酒も成人してから始めた私であるが、出家して雲水となってからは吸いたくても飲みたくてもその機会もなく、その気も起こらなかった。再び吸い始めたのお寺に入ってからだったが、人前では吸わなかった。在家の方から見てお坊さんが煙草を吸っている姿はどう感じているのだろう。私には躊躇があった。

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そんな私が煙草に見切りをつけたのは、結局極めて個人的な理由による。
先ずは、永平寺へ行った折のこと。真夏の堂内や回廊を涼しげに立ち居振る舞いしている雲水さん達の姿をみてのことだった。あの永平寺の回廊を昇るだけで息が上がり、変な汗を掻いているわが身に嫌悪感を抱いたのだ。

それまでにも、婿殿になって夫人たちに隠れながら湿気モクを吸っているのも面倒くさくなっていたのも事実である。そして、長女が生まれようとしていたことから夫人と胎児への影響を懸念してのこと。そんな要因があって禁煙となったのが真相である。意志堅固というより追い込まれた果ての所業であるが、お天道様の下で奇麗な空気を吸って生きたくなったのである。

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雲水修行時代はお酒も煙草も、誘惑される場面がないこともなかった。僧堂では喫煙を禁止しているところもある。しかし、煙草なんかは早い時代にお坊さんの日用品になっていたのではないか。僧堂に於いて喫煙が禁止されるようになったのも世間で健康への害が云われ出して以来のことかもしれない。そういえば、ある僧堂で昔使われていたという古風な煙草盆を見せて貰ったことがある。

僧堂での日常生活の規範は、戒律であることは云うまでもないが、律の方が生活に即し具合的であると思っていいだろう。囲碁や将棋をしてはならない。女性と会話してはならない。ワイ談をしてはならない。政経渡世をしてはならない。金儲けをしてはならない等々。自己の生活を律するための禁止事項も時代と共に変容してきたに違いない。

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お釈迦様の時代には「煙草をすってはならない」という律はなかったという指摘もある。戒も律も、守るべき事象がなければ破ることもない訳である。時代が下るとともに律の項目が増えたことは予想される。それはまた、律を立てなければならないような、仏弟子としてあるまじき、目に余る所業を為すものが増えたということでもあっただろう。そこには民の生活が千変万化、豊かになるにつれて僧坊への影響もあったであろう。

元より、煙草や酒が悪なのではない。それに関わるこちら側の人間次第で破戒や過ちの要因ともなってしまうのである。それは在家とか出家とかに関わらない自己を制御する人間力の問題であろうと思う。






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タイトル (本文) ブログ名/日時
或る禅僧が説いた「禁煙のススメ」
江戸時代の面山和尚が明らかにした禁煙法でございます。 ...続きを見る
つらつら日暮らし
2010/12/16 05:03

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
頑固者身の置き所なき冬たばこ    よし
yoshiyoshi
2010/12/16 05:02
 よしさま。
いつも一句ありがとうございます。
「寒星を仰ぐ煙草火ありにけり 玉宗」
市堀
2010/12/17 21:16

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