再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 死者を送る縁

<<   作成日時 : 2010/12/23 02:21   >>

トラックバック 0 / コメント 3

画像


足袋穿いて死者に一番近くをり 玉宗

納棺という死者を弔う遺族たちの現場に立ち会うことがある。現今では納棺師という職種の方がおられて、葬祭業者の中の一員として活躍されているのだろう。能登のような田舎でも最近遺族の手を煩わさず納棺師によって遺体が清められ、死装束を着せられて、棺へ入れられることが多くなった。
しかし、輪島では未だに一族郎党が集まり、オロオロしながらも族長や地域の顔役の差配に従って納棺の儀式が行われることがある。その賑やかな様子は死者も思わず起きだしてしまうのではないかと思うような有り様である。それが実にいい感じなのだ。

親族の中にはそのような現場に手慣れている者が必ず一人二人はいるもののようで、帷子を着せる際の硬直した遺体を解すコツを知っていたりする。その他にも、体を清める際には片手に線香を持ちながら拭いてやるのだとか、頭陀袋には六文銭の代わりに握り飯を入れてやってもいいんだとか、北枕でなければいかんと、頻りに方位を気にする者がいたり、死者が最後まで横たわっていた蒲団は丸めて浜で燃やすものだとか、卍を記した三角布は死者と喪主が頭に付けなくてはならないとか、それはそれは思わず住職も引いてしまう程の騒ぎである。それがまたいい感じなのだ。

そこには無宗教時代とか直葬などという殺伐とした風景とは程遠い、如何にも人間臭い、弱くも愛すべき存在者達の狼狽ぶりがある。泣きたくなるほどの、この世の縁で繋がっている危うい命達の真心が感じられる。科学的、生産的ではないかもしれないが、そこには「死」を受け入れようとする「どうしようもない人間たち」の現実的、合理的逞しさがある。都会人はこのような田舎者の無知ぶりを嗤うことはできるだろうが、「死」を日常に受け入れている生活の豊かさと無縁で在り続けるだろう。

「生は死をして死ならしめ、死は生をして生ならしめる」
死者を送る縁、それは死者となって送られる人生の宝ものでもある。宝ものを活かすも殺すも私の生き方次第でその価値が決まる。





よい記事と思われましたらポチっとお願い致します。合掌
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
寺筋の寒暮の道の遠きこと    よし
yoshiyoshi
2010/12/23 05:13
こんばんは
 そういえば死者にも足袋をはかせてあげたいですね。
湘次
2010/12/23 21:39
 よしさま。
一句ありがとうございます。
「禅堂の一灯淡き冬の暮 玉宗」

 湘次さま。
死に装束では死者にも旅支度として足袋、手甲脚絆をします。一度お試し下さい。(笑)
合掌
市堀
2010/12/25 17:17

コメントする help

ニックネーム
本 文
死者を送る縁 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる