再生への旅

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zoom RSS 「八百長」という「方便」

<<   作成日時 : 2011/02/09 04:59   >>

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生き死にの渚に雁の供養かな 玉宗

相撲の八百長問題が世間を騒がせている。といより、世間が相撲の八百長を問題として騒いでいると云った方が実際ではないのかと思われなくもない。相撲と云う、神事にして興業にして力技にして芸事として、みたいな、様々な文化的要素を持ち合わせている領域には、一筋縄ではいかない問題解決方法を模索しなければならないのかもしれない。況してや、近代のスポーツという西洋の理念を移植され感染された現代日本人の感覚、常識も又、問題解決の厄介さに加担しているようにも見える。もしかして、問われているのは力士の側ではなく、何の批評眼も歴史認識もなく戦後を生きている我々の方ではないのか?

しかし、相撲の長い歴史は単純な理念のなせる業であるという真相からすれば、造作もない解決法がありそうな気もする。たとえば、「八百長」を一つの「方便」という観点から検証出来ないものだろうか。「八百長相撲」にも色々あるらしく、金銭の授受を伴うもの、伴わない無気力なもの、或いは人情相撲など。それらは相撲の歴史や本質と切り離せない、というより、人間の本質と切り離せない、生きてゆく為の方便、「煩悩」の為せる業ではないかと私などは例によって切り捨てたくなる。

一方で相撲の観客にも色々あるのだろう。真剣勝負でなければ木戸銭を返せと座布団を投げるようなスポーツマンシップ旺盛な観客、或いは野次馬根性旺盛な観客、歌舞伎役者にうっとりするような眼差しで満足する観客、たかが相撲と暇つぶしに終始する観客、されど相撲と人生論を引き合いに熱くなる観客、テレビ観戦という無責任な気楽な観客、等々。これらもまた同じように人間の本質と切り離せない、生きてゆく為の方便、「煩悩」の所業ではないのか。

「八百長」を問題としているのは誰か?「八百長」で迷惑を被ったのは誰か?「八百長」で得をしたものはいるのか?「八百長」は社会悪なのか、必要悪なのか?「八百長」問題の解決当事者はだれなのか?

相撲が「八百長」問題と決別するには、取る方も見る方も、「相撲」の本領・本質を現代に問わなければならないのかもしれない。
「八百長相撲」問題は、力士と観客をどこへ連れて行こうとしているのだろうか。社会正義か、興業としての再生か、人情か、家族愛か、友愛か、責任の所在か、経済効果か、名誉か。
いづれにしても、神仏をも嘘で誤魔化せると妄想しているとしたら、それは二重にも三重にも罪過を犯しているとしか言いようがないし、「観客・世論・マスコミ」が問題解決の行司役であると錯覚するのも共に現代人の妄想ではないのか。
共に自己を晦ますことは出来ないことを肝に銘じ、生きる為の「方便」が直に人生の豊かさに導くものであってほしい。そのような生きる姿勢を持った本物だけが見る者に感動を与え、相撲を愛し育ててゆけるであろう。

「方便」とは本来、「実物」への近道である筈であり、「偽物」への近道ではない。「八百長問題」には「実物・本物」が解らなくなってしまった現代社会の縮図を見ているような虚しさが漂っている。






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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます
 八百長ということばがありますから昔からのことなのでしょうね。
湘次
2011/02/09 09:15
八百長が法定された犯罪でないことは確かですが、報道は重大犯罪を告発するようなムードです。大相撲の存続そのものが問われるような論調は、逆立ちしていると言うべきでしょう。相撲が「国技」であるならば、最適の保存形態を模索するのが最優先だろうと思います。
志村建世
2011/02/09 23:26
大変ご無沙汰しておりました。
久しぶりに記事を拝見しに来ました(笑)
微妙な問題ですよね......。
我々の世界にも似たような事情が存在すると感じました。
国技か興業か、僧侶か代表役員か......う〜ん。。。多くは語れません。。。
叢林@Net
2011/02/10 00:33
いかさま、私なんぞも八百長なんぞであたかも鬼の首を獲ったかのように騒ぎまくるマスコミの方が可笑しいと思う人間ですから、御意の通りにございます、
人の生くる道にはなかなかに一筋縄では参らぬことも多いのではございます、いつから私等はこんなにも他人の揚げ足ばかり取る人間になり果てましたんでしょう、誰がそれほど大義に生きているんですかねぇ、
曖昧でもなんでもいいのです古来連綿と続く相撲はなんとしてもやっぱり残して欲しいものです、
もう大概にして許してやんない。

早春の褌ばかり相撲部屋    よし
yoshiyoshi
2011/02/10 08:31
 皆様、コメントありがとうございます。
何度、コメントの返信を送信してもスバムなんとかで削除されてしまいます。わがブログに主人が受け入れられてもらえません。(笑)
まあ、結局、人間みな、悪人正機の、哀れな友ではないか、ということを言いたいのです、わたいは。合掌
市堀
2011/02/10 18:07

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