再生への旅

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zoom RSS 拝啓、良寛さま・その7/仏法という受け身

<<   作成日時 : 2011/03/28 06:45   >>

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半島は手を振るところ鳥雲に 玉宗

拝啓、良寛さま。

東北地方太平洋沖で大地震が起きてしまいました。だれも予想し得なかったような大地震と大津波が、多くの無辜の日本人を攫い、多くの被災者を生み出しました。復興へは長い年月が掛ることでありましょう。今、この時も、復興へ向けた多くの被災者、支援者の尽力が為されております。
未だ安否の確認できない方々も多く、お坊さんも又、お寺を流され、お墓を流され、お檀家さんを流されてしまいました。社会の話題にはまだ上りませんが、彼らお坊さんの復興も又、前途多難でありましょう。

良寛さまが71歳の時に京都で大地震が起きました。三条付近は大きな被害に見まわれたとあります。良寛さまは友人の山田杜皐さんを励ますために手紙を書きましたが、その中に、現代人もよく知っている次の一節があります。

『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候』

災難から逃れるために人間は、文明の知恵を尽くして努力し、災難に学んできた歴史であったとも言えましょう。当時も今も、被災者や復興に関わる人達にとって、良寛さまの言葉は到底受け入れられないトンチンカンなものであるかもしれません。それは、禅問答が畢竟、私ひとりの迷いを払拭させる地平へ誘おうとするものだからではないでしょうか?

災難を待ち望む者はおりません。災難に遭うこと、それは幸運と出会うのと同じように、出会いがしらの、思いの外の「縁」というべきものです。「縁」から「逃れる」ことが出来るというのも、弱い人間ならではの転倒妄想でありましょう。災害を防いだり、その被害を最小限に抑えることは可能かもしれません。人間の歴史は、災難から「逃げ」、幸運を招き入れる歩みでもありました。人生にはさまざまな災難、苦難、困難があり、文明は人知を尽くしてその災難への受け身を学んできた道標です。言い換えるならば、それらは全て人間の条件である「外」への働きかけ、作為でありましょう。

仏法は、「内」へ向けた人生の受け身を学ぶ一つの道ではないでしょうか。私の、身と心に起きる災難からの受け身が宗教の領域というものであることをこの言葉は気付かせてくれます。良寛さまはお坊さんの守備範囲を逸脱せず、誠実にお答えなされました。

どんなに逃げても逃げ切れない、私の迷い、煩悩があり、生死があります。それが「外」の災難よりももっと始末に悪い問題であり、又、その問題の自己に於ける根本的解決が災難から立ち上がる最も確かな妙法であることを良寛さまは確信なさっておられたことでしょう。

良寛さまは、何が起きるか分からない人生を、あるがままに、抗うことなく、執着せず、欲に絆されず、淡々と生きる覚悟を静かに語られました。その生きざまは社会的には無能な人間に映っていたことでありましょう。小賢しい、作為を超えた、社会の毀誉褒貶に関わらないことが「内」なる受け身の為せる業であることを理解している人は、今も昔も少ないのかもしれません。

死を逃れられない人生に於いて、「逃れたい」という貪りがあります。人生に於ける災難からの受け身。その対処法を「内」と「外」のどちらに体重をかけて生きてゆくのか。どちらがより愚かな所業なのか。良寛さまはそれを問うているのかもしれませんね。

合掌





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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
 「内」に比重を置く生き方はともすれば後ろ向き、ととらえられがちですよね。教育のなかでもほとんど触れられない分野だと思います。地味ですが、そこに意識がいくとかなり生きやすくなると思うのです。そちらにベクトルが向くまでがハードルが高そうです。
 曹洞宗のお坊さん達10人が隣町の被災地に入ったと聞きました。1年くらい滞在予定だそうです。ありがたいことです。
 いつもいろんな気づきを与えてくださりありがとうございます。
くろちゃん
2011/03/28 07:37
おはようございます
 現実と向き合うことが大事なのですね。
湘次
2011/03/28 08:54
 くろちゃんさま。
内という目に見えない領域に足元をすくわれない様にしたいものです。曹洞宗のボランテイアも現地に入って活躍しているのですね。若い力は頼もしいです。お大事に。

 湘次さま。
逃れたいと思うのは死そのもではなく、死へ至る孤独な道程に堪えられないからでしょうか。それもこれもひっくるめて解決できればそれに越したことはないのですが。そこが私を含め凡人たる所以なのでしょうね。お大事に。

合掌
市堀
2011/03/29 06:56

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