再生への旅

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zoom RSS 声なき声を聞く・無常説法

<<   作成日時 : 2011/05/09 04:24   >>

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逝くものは逝き夏の空とはなりにけり 玉宗

親族の多い家のお母さんが亡くなり葬儀を依頼された。
私より三つ年上の長男は、学歴はないが一代で建設会社を起こし市内でも優良企業として名を成すに至っている。八十一歳で天寿を全うした母親は行商などをして夫とともに一族を支えた。先代の頃からお寺参りを欠かさない篤信家であり、永福寺の檀家ではないのだが菩提寺の住職が空席のこともあり、私に引導を渡してほしいとのことだった。喪主でもある長男は小さい頃病弱で、祖母がよく永福寺に願掛けにつれてきていたらしい。

喪主は苦労人であり、おばあちゃん子であったかのような人のよい、世間知らずなところもあり、お寺の事に関しても折に触れて仏事の謂れを尋ねられることがある。今日も納棺に伺ったら、早速質問された。

「人はいろいろ言うんだけど、納棺のやり方ってどうやるのが本当なんですかね?」

田舎でも「おくりびと」の存在は知られるようになっており、一般的に納棺も又、こうでなければならい、といった思い込みがあるのだろうか?どうやるのが本当なんですか?と問われて、正直なところ「ん〜」と一瞬とまどってしまった。本人は周りのもの知りから云われて迷うのだろう。結局のところ、お坊さん、仏教ではどう伝わっているんですかね、といった勢いなのである。

葬儀は本来お坊さんではなく、その土地の族長が仕切って行われていた。地域のやり方、風習にならって務められてきた経緯がある。現代でも、狭い日本ではあるが、村の数ほど葬祭儀式の実際があるに違いない。それは仏教が伝えてきたというより共同体意識が伝えて来たというべきである。お釈迦さまや道元さまが、能登の田舎の納棺の指図をしているとは教わっていない。

結局、その場では「地域のやり方でなさればいいでしょう。」と言うに留め、お坊さんである私はお経を挙げながら、いつものように親族らの湯灌、納棺の様子を見守っていた。

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見ていると四十人ほどの親族が、線香を一本手に持ちながら、入れ替わり立ち替わりアルコールを浸み込ませたガーゼで遺体の手足を拭ってやっている。湯灌というより、拭き清めるといった行いである。眼の前には白い遺体が横たわっている。中には親族と雖も死体に触れることに尻込みしているように見られる人も少なくない。死体が穢れであるというのは神道の影響であろうか。

終わると、寝巻姿の遺体を男衆がシーツごと棺に担ぎ入れ、葬儀屋から用意された帷子を被せ、手甲脚絆、三角巾、六文銭、カミソリ、杖、頭陀袋などを棺に入れる。故人の愛用していた着物や嗜好品などを入れることもある。入れ歯、タバコ、写真、孫の書いた絵等など。ときには葬儀屋に焼却に不都合だと言われてひっこめる品もあったりする。故人の愛着したものを冥途の旅路に添えてやりたいという思いなのか、用済みのものは一緒に焼却してもらおう、といった感覚なのか。いづれにしても、ああでもない、こうでもないと結構賑やかな、そして涙ぐましい納棺風景である。

こういった仏教の本筋ではないものが葬儀の遂行に関わっている抜き難い現実があり、「本当のところは?」と問われて一々理屈を言うのも面倒な思いが私にはある。大事なことは何か?見逃してはならない本筋というものがあるのではないかと私は言いたいのだ。

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答えは眼の前の「死体」が全てを語っていよう。「死」の「端的」が本筋である。「無常」が「法を説いている」ことに気づかなければならない。生きとし生けるもの全て「生老病死」を免れない現実がある。そのような儚くも危うく、そして有難い命をどう生かしてゆくのか?それが仏教の初心であり、すべてではなかったか。

死にゆく者との今生の縁というものに思いを致すということは、当に「無常」に心を寄せることでもあろう。自己も又死にゆく定めの命を生きていると知った時から、人は本来の生の可能性を生きていくことが出来るのかもしれない。

出生の縁を顧みれば、先立つ親の旅立ちに精一杯のことをしてあげるというのが孝行というものではないか。それは本来当たり前のことであった筈だ。送りだす者の孝順心の有無が試されている。敢えて言えば、生を貪り、死後をも貪るものに限って枝葉末節に拘るもののように見える。たかが納棺と侮るなかれ。死して親は遺されたもののために命の実相を証し、迷わず生きて行く智慧を授けているのである。

「迷わず、しっかり生きて行くんだよ」

無常説法。遺族は死者の声なき声を聞く耳を持たなければならない。







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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
村も皆人入れ替わり大南風  よし
yoshiyoshi
2011/05/09 07:09
葬式について、示唆の多いお話です。葬式のやり方は、僧侶が指図するものではなくて、その土地の習俗によるというのに納得です。一歩進めると、葬儀社の定型に縛られない家族葬に、お坊さんを招いてもいいわけですね。家が近くだったら、ぜひお願いしたいです。
志村建世
2011/05/09 23:37
 よしさま。
能登も南風が吹くようになりました。人口が少ないので風通しがいいです。

 志村建世さま。
家族葬儀、いいですね。
現代は葬儀が家の宗教行事ではなく、社会儀礼に傾き過ぎているのではという指摘もありますね。
義理人情に厚い日本人ならではのことなのでしょうか?
合掌
市堀
2011/05/10 18:29

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