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zoom RSS ストレステスト?!人生の本番とは?

<<   作成日時 : 2011/07/08 04:18   >>

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逆鱗は羽抜鶏にもあるらしき 玉宗

原発再稼働を巡ってストレス・テストということが言われ出した。ストレス・テスト( stress test)とは、システムに通常以上の負荷をかけて正常に動作するか、つまり隠れた欠陥がないか調べるリスク管理手法のひとつだそうである。経済産業やIТ関連用語らしい。ど素人の私などにはよく解らないが、原発の安全性を確保するための作業なのであろう。想定外や非常時の際の対応力は確かなレベルのものにしておくに越したことはない。然し、本番さながらの負荷を想定するのだろうが、いづれにしても人知の及ぶ想定内でのテストなのだろう。本番そのものではない。平和と同じようにエネルギーの安心も又人類が創造し保持しつづけなければならないものなのかもしれない。

ところで、お坊さんの修行にもストレス・テスト然としたところがあるのではないかと思ったりする。四苦八苦の人生を身清く心安らかに生き抜いていきたという私がいる。生まれたままで順調に人生を難なく生き延びていけるに越したことはないが、そこには先ず、人生に迷い、自己に迷っている存在者としての私が前提としてある。なんだか知らないがそういうことになってしまったのである。私は生まれ変わらなければならなかった。お坊さんになるとはそのような厄介な人間を改造するために手間を掛けることであった。

有為転変の人生を生き抜くための手段を、自己の身と心に修得させることが必要な類の人間であったということ。そういう意味では修行時代とは人生モラトリアム時代とも言えなくもない。然し、人生にテストと本番の境目などないというのも現実であろう。お坊さんという異次元の世界に生きるとしても自己の今のいのちと隔絶してあるわけでもない。

修行時代もお寺さんになっても、いつも命本番である。雲水は雲水として本番。住職は住職として本番。生は生として、迷いは迷いとして、悟りは悟りとして、死は死として一度きりの、今切りのいのち本番である。段階がありつつも、そのときそのとき、一期一会の本番である。いつも命の可能性を生きているには違いない。

ストレスのない人生、煩悩のない人生、迷いのない人生には生の活力もまた希薄となるのではなかろうか。いのちは可能性の只中でこそ光り輝くのではなかろうか。私が神仏とともに生きるということは、煩悩・リスクとの付き合い方が試されているということでもあろう。翻って、現代の人類は原発という活力を生かすための知恵と度量が試されており、言い方を変えるならば現代人の神仏との付き合い方が試されているということであろう。人類は活力ある生をいつまで保ち続けることができるのだろうか。






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
立葵雨が上がるを待ち兼ねる  よし

この花が天辺まで咲けば梅雨も上がるというが
なかなか今年は強情なようです
yoshiyoshi
URL
2011/07/08 08:03
 よしさま、コメントありがとうございます。
能登も例年より早く梅雨があけました。
立葵も目につくようになり、これからが本格的な暑さですね。節電の夏になるようで、熱中症に気を付けてくださいね。
合掌
市堀
2011/07/10 18:11

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