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zoom RSS 無常観という生き方

<<   作成日時 : 2011/08/08 04:15   >>

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つくつく法師むかし家族のありにけり 玉宗

曹洞宗の機関紙「曹洞宗報・8月号」の巻頭言は曹洞宗総合研究センター客員研究員・佐々木宏幹氏の「『天然の無常』について」というものだった。

東日本大震災に於ける日本人が示している態度・反応と、その奥に秘められた「無常」観(感)の考察である。
あれほどの危機的状況の中にありながらも暴動・略奪なども起きず、「家族も住居も仕事も失い、悲痛と不安の極みにある人びとや避難所で過酷な生活に耐えている人びと」がいる。氏が最も感銘を受けたのは、家と家族を失った一古老が遥かに海の彼方に目を遣りながら呟いた次の一言だったという。

「自然のやることだから仕方ないなあす」

佐々木氏はこれは「自然のやること(大災害)」への「諦念」の表白であり、このような受け止め方は多くの日本人特有の感性であり、太古の時代から脈々と流れきたった、いわば文化的遺伝子ではなかと言う。そして、この指摘は物理学者・文筆家であった寺田寅彦の指摘でもあった。

「寺田は日本の自然は人びとに無限の恵みを与える慈母であると共に、時には厳しい鞭をふるう厳父でもあり、この両者が配合よろしきを得た国柄であるとしている。彼にはまた仏教が日本に土着し得たのは、仏教の根底にある無常観が日本人の自然観と調和したからではないかとし、これを「天然の無常」と呼んでいる。」
「天然の無常」は遠い祖先からの遺伝的記憶となって、日本人の五臓六腑にしみ渡っており、古老の呟きもまたそのような無常観の表現として響き合う。

佐々木氏は最後に「大震災からかなり日を経た今日、私たちは想定外の大自然災害と仏教の「無常」との関係について語ることを求められている。その際、寺田の述べた「天然の無常」観(感)は少なからず参考になるのではないか」と締めくくっている。

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氏は文章の中で「無常観」と「無常感」との差異を想定しているようである。四季の移ろう中に暮らしを営む日本人にとっては、自然や時候や人事が「移ろう」ことを受け入れて生きることこそが人生そのものであっただろう。仏教の無常が現実や命の実相を示していることを受け入れる文化的素地があったということだろうか。そしてそれは仏教的生き方としての、とらわれのない、無常観となる。「観」はそのまま「行」と言ってもいいであろう。「感」にはまだ人間的情操に留まっている節がある。

仏教が「感」という「諦念」だけで留まることなく、「観」という前向きな生きる姿勢、生きる力とならなければ、仏教が真に日本人の魂の源郷に貢献したことにはならないのではなかろうか。仏教が日本人の宗教としての領域を刻印し得るということでもある。そうであれば、「私は無宗教です」と云い張ろうが何であろうが大した問題ではない。仏教は仏教であることによって被災者に寄り添える。





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます
 天災にはあきらめと立ち向かう勇気がわいてきますが人災には憤りが先に生まれますね。
湘次
2011/08/08 08:57
 湘次さま。
それにしても甚大な天災でしたね。
災いを転じて人生の力と為す、先人の知恵と支え合う隣人がほしいですね。

合掌
市堀
2011/08/10 20:01

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