再生への旅

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zoom RSS 閑坐聴松風・静けさに耐えられない現代人

<<   作成日時 : 2011/08/23 04:05   >>

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秋潮の沖より神が来るといふ 玉宗


私はどちらかと言えば音に敏感な方である。
雑音には堪えられないところがある。不夜城と呼ばれ闇を失くした現代社会と指摘されて久しいが、音に関しても作られた音が圧倒的に多いのではなかろうか。溢れかえるような人工音によって自然の声が聞こえにくくなってはいないか。意識するしないに関わらず、我々は現在、様々な人工の波長に囲まれて暮らしている。

いつのころからか日本には静けさが失われてしまった。無音。奈落のような底無しの静けさ。

絵画も音楽も文学も、芸術は畢竟、沈黙の世界へ誘うものだろう。それは自己一人の命の深さ、豊かさへのアプローチであり、真の自己解放ではなかったか。
自然と相対する時間が少なくなってしまった人間の感覚を考えさせられる。概して現代人は日常生活でも音に対して遠慮が足りないのではないかと感じる。視覚に惑わされることの多い人間であるが、聴覚にも揺さぶられることも又少なからざるところがあるのではなかろうか。

無為にして、じっと自己の命に親しむことに耐えられない人間が増えているのではなかろうか?好むと好まざるとに関わらず、何もしないで、自然の音を聴くことができなくなった。静かさに耐えられず、何もしないことへの強迫観念。
俳句には「秋の声」という季語があるが、一般的には死語に近い言葉だろう。俳人も又解ったふりをしているが本当のところは聴く耳を持っているのかどうか怪しい。

沈黙の声を聴くことができない。それは無宗教を自認する世相と無縁ではないだろう。声なき命の声に耳を傾ける一人の時間を大事にしたいものである。








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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
全くお説のとおりですね。
”しじまの声”を聴くとき、いのちは響き、温もり、うれしいものですね。
地デジ化を機に、テレビから足を洗いました。豊かな空間が戻りつつあります。
貧女
2011/08/23 16:16
貧女さま。
コメントありがとうございます。
思えば、静かな空間で暮らせる幸いを感じます。
なにごとも限度があろうと思うのです。
今は、雑音が多すぎませんか?それを雑音と思わないところが怖いです。
合掌
市堀
2011/08/24 04:19

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