再生への旅

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zoom RSS お坊さんの憂鬱?!

<<   作成日時 : 2011/09/11 04:10   >>

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奥能登のそのまた奥の捨て案山子 玉宗

全国1万5千ケ寺と云われる宗門寺院であるが、所謂兼務寺となっている数は少なくない。寺院にも格差があり、地方では檀家数も減少の一途を辿っている現実がある。数十年後には寺院の統廃合が避けられない状況に迫られるのではなかろうか。それと共に、寺院の後継者不足が兼務という体制に拍車をかけている。どの職種においても事業の継続が命題として避けられないと思うが、お寺にとっても仏法僧の三宝を継ぐべき後継者問題は避けては通れない現実問題である。

私もそうであるが、時に、在家から出家しお寺に入る者もいる。禅宗の場合、伽藍の相続は、法の相続と同様に血統ではなく出家主義に依る嗣法が優先されてきた歴史がある。本来、禅寺の後継者とは出家者間の引き継ぎであった。然し、現在は宗門も多くは明治以来の肉食妻帯勝手たるべしの世情に倣い、後継者は血統が優先されている。私はそれが一概に悪習だと指摘しているのではない。

お寺で生れた者だろうが、出家した者だろうが、要は本人次第であろうというのが私のスタンスである。出家者が優れているのでもないし、お寺の息子が劣っている訳でもない。得てして、出家者に対する志の高さを称賛する向きがあるようだが、それも一概には語れない。一般社会人としての経験をもったお坊さんが結構癖の強い、脂っこい仏弟子であることもあるし、お寺で育ったお坊さんが姿勢正しく生きておられることもある。そして、その反対に、どちらの場合にも仏弟子としての資質を疑いたくなる人物もいることであろう。いづれにしても、三宝護持に関わる者の人間力・お坊さん力が問われていることを忘れてはならない。

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お坊さんの生活のためにお寺があるのではないが、霞を食べてお寺を護持出来ないことも実相である。それは一般社会となんら変わらない困難が伴うものであろう。そして、そのような苦労を苦労とも思わない人間は、どの世界にもいたり、いなかったりするだろう。お坊さんの世界も同様である。後継者がそのような現実の不確定性や憂鬱に耐えられるかどうか。やはり一概には言えない。なぜなら、生きるとは具体的なものだからである。後継者となる者の不安や憂鬱もあるだろうが、後継者を指定しなければならない者の不安や憂鬱もあろうというものである。

いづれにしても、それらは全てこちら側の都合である。そのような人間側の事情を遥かに超えて現実はやってくる。案ずるより産むが易く、且つ、夢と落胆の綯い交ぜとして。現実はいつもそういうものとして立ち現われる。お寺の未来も又、そのような天の采配を逃れることはできない。お寺が永遠にあるという妄想があるからこその悩ましさなのである。諸行無常。お寺の存続も又、その理の埒外にあるものではないだろうし、諸行無常に依り、徹して生きる以外に憂鬱や不安から逃れる道はないことを肝に銘じなければならないと思っている。





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