再生への旅

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zoom RSS 本来の面目・人間の値打ち

<<   作成日時 : 2011/09/22 04:21   >>

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台風の臍の中行くお坊さん 玉宗

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり 

これは道元禅師の傘松道詠歌の一つで、「本来面目」と題されたものである。故・川端康成がノーベル賞授賞式での講演で紹介し、一躍有名になった感があったものだ。

さて、神棚や仏壇のある家庭が全体の半分にも満たないという。明治に来日したある外国人が、日本ではごく普通の家庭でもみな教会を抱えていると言ったらしいが、嘗ては、仏壇や神棚が家の中心的存在としてあった。
現代はどうか。それはものやお金や情報に取って代わったという識者がいる。人生の価値、人間の値打ちが本来の面目からほど遠いものに変わったということでもあろうか。

「心地開明」という言葉もある。人間の心を田地に譬えている。心は田地のように、放っておくと草も群生する。同じように、私という人間も放っておくと煩悩や苦悩ばかりで情けない代物に成り下がることは間違いない。そうではあるが、だからこそ、煩悩まみれの心地に菩提の種を捲いて、耕し続ける意義があるのだと思う。それこそが人生の醍醐味であり、本来の命の面目ではないのかと。そのような可能性としている命の面目にどのような姿勢で私が生きたかで、私という人間の値打ちが決まることを潔しとしなければならない。それも又、この世に生まれた避けられない命の宿命というものなのだろう。

存在すること自体は善悪や勝敗や有益無益や有用無用等の二対を越えているのではないか。本来、何物にも染まらない「素なるもの」であり、ならばこそ、私の今の生き方が人生の意義を創造するのであろう。

朝日や夕日を拝み、自然に手を合わせ畏敬し、仏壇や神棚に頭を垂れ手を合わせる。日々の暮らしの軸となるこのような信仰の場がないという現代人。それは自己の人生の価値や命の値打ちを見出せないでいることを証明していることに他ならないのではなかろうか。






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
「ガクト君」は「がくとくん」が正しくて・・・・・
音楽都市郡山をアピールしています。
こどもたちは合唱、頑張っています。
二中はNHK全国学校音楽コンクール
全国大会の切符を手に入れました。
今日も私の俳句は字足らずですが
「がくとくん」を見に来てくださいね。

本文のシリアスさにそぐわないコメント
どうぞ大目に、お許しくださいますよう。
いらくさ
2011/09/22 06:05
いらくさ様。
コメントありがとうございます。
台風、大丈夫でしたか?
御地の様子がテレビ放映されていましたが、水が溢れ返っていましたね。
都市型排水対策を再検討しなければなりませんね。
合掌
市堀
2011/09/22 21:28

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