再生への旅

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zoom RSS 放生市のことなど

<<   作成日時 : 2011/10/09 04:38   >>

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露しとど放生市のあさぼらけ 玉宗

三連休の初日である昨日から、門前町では「放生市」が開かれている。地元では「大市」とも呼んでいる。総持寺通り商店街を車両通行止めにして、植木屋、陶器屋、金物屋、唐津屋、洋服屋、その外香具師や商店街の店がテントや廂に棚を出して立ち並ぶ。サーカス小屋が立ったこともあったらしい。
そのような風景があったのも数年前まで。特に能登半島地震前後からは関西や近畿から来て店を出していた問屋さん達が来なくなっていた。今年などは露天商と地元の商店ばかりで、夏祭りの夜店のような感じである。

本来「放生市」は総持寺の御征忌法要が済んだ頃に立ち、農家の稲刈りも終わり、農事にひと段落着いた近郷の庶民が、収穫後に手に入ったお金で家庭の必需品などを買い求めたり、祭り気分を楽しんだ風習であったのだろう。その名残が数年前までは感じられたものであったが、少子高齢化の過疎地であり、車社会の中で田舎でもスーパーやホームセンターや娯楽施設や葬祭施設などがある昨今。「放生市」そのものの特色も色あせ、自然消滅していった観がある。
 
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能登半島地震復興後、町内は小奇麗に復興したが、私などにはなんかしっくりこない違和感がある。地震によって失くしたものがある。得たものもあろう。ものの再生はなったかもしれないが、心はどうなんだろう。「放生市」を待ち望み、貧しくもお互いに助け合い、励まし合っていたむかしのような素朴で豊かで逞しい心に戻っているのだろうか。物が豊かになったり、小奇麗になったからといって、人間性の豊かさや柔軟さの証明にはならない。

人の生と死に対する関わり方も変わってしまったようだ。向う三軒両隣的な、田舎特有の親切心や要らぬお節介的関わり合いが希薄になって久しい。地域を挙げて生を迎え、死を送っていた「思い遣りの心」が田舎者の真骨頂とも言えよう。「禅の里」を謳ってはいるが、街と変わらない人間関係や些末で本末転倒した宗教心が能登の田舎にも浸透しているのではないかと心配している。

私一人の取り越し苦労であることを願っている。








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