再生への旅

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zoom RSS お袈裟の色が気になりますか?

<<   作成日時 : 2011/10/13 05:19   >>

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胸板を叩く音して榠樝落つ 玉宗

お坊さんと云えば墨染の衣というイメージがあるかもしれないが、お釈迦様もその弟子も、みな糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ばれるお袈裟を身に着けていた。「糞掃衣」とは捨てられて顧みられなくなった襤褸布で作った衣のことである。色彩も壊色(えじき)と云われるものである。原色ではなく謂わば汚れたような、濁った色合いのこと。何故かと言えば、執着の対象から離れているからであろう。執着を起させないということ。着る物、見る物ひとつでも人間は迷い、拘るものである。殊更に粗末な装いをするというのではなく、一切合切の束縛から解脱することが面目である仏弟子にとっては当然の気配り、本義ともいうべきもの。一衣一鉢。「糞掃衣」と「応量器」が仏弟子の代名詞でもあった。釈尊は一生、粗末な布で作った衣を身に纏い、それ以外の華美なお袈裟は着る事がなかったという。

さて、赤、黄、紫、金襴など、現在では彩色・生地・裁縫まで品物も様々である。いつのころからこのような状況になったのか詳らかにしないが、お坊さんの需要に業者が応えたものか、業者の誘いにお坊さんが乗っているのか。どちらが実際の真相に近いのか判別しかねるが、恐らく両方であろう。そんなことであるからか、檀家さんや一般の方々もお袈裟や衣の色でお坊さんの値打ちを判断することになるのかもしれない。檀家さんも又、わが菩提寺の住職が黒衣しか着れない人物であることに我慢がならないという次第になってしまう。

「檀家さんのためにもいろんな衣装を着てあげる。それでいいじゃないか。中身の問題とは別。」というような事を公言する住職もいる。一方に、誰がなんと言おうとと、如法な、壊色で通すという人物もいるだろうし、自ら手ずから袈裟衣を縫い上げる方々もおられる。

衣装と雖も疎かならぬのが宗旨でもあるのは承知している。いずれにしても、私には豪華な衣やお袈裟を着る資格もお金もないのではあるが。このような言挙げは、如何にも小人の負け惜しみに聞こえるかもしれないが、衣やお袈裟の色かどうのこうのと拘るよりもっと一大事な内実の問題が山積していることを忘れたくはない、という思いがあることも本心ではある。


何故に家を出でしと折ふしはわが身に恥じよ墨染の袖 良寛









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