再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS ある電話

<<   作成日時 : 2011/11/12 05:21   >>

トラックバック 0 / コメント 3

画像


ひつじ田に打ち捨てられし柿の皮 玉宗

先日、とある女性から電話が掛ってきて、自分の信仰している教祖様の講演を聞きに来ませんかと誘いを受けた。実はこれまでにも何度か誘われている知人の娘さんなのである。嘗て、法事の席で私のお説教?を聞き、言葉を交わすようになった。私の法話の中に勧誘の的になる素質があったものか、それ以来のお誘いである。その都度、気分を害さないようにお断りしていた。出かける面倒くささもあったが、戴いた教本や彼女の勧誘話を見聞きしていると、幸せ間違いなしといった内容で如何にも胡散臭く、滅入ってしまうのである。私は人を押しのけてまで幸せを手繰り寄せたいといった気概がない。

彼女の言い分では、先生のお示しは決して迷信ではなく、科学的なのだという。いや、彼女は確かに「科学なんです」とまで言っていた。いつものように中々引き下がらない。幸せの押し売りという言葉がのど元まで出かかっていた。堪忍袋の緒が切れるぎりぎりのところで、次のような言葉を吐いてしまった。

「あなたのお気持ちはよく解ります。まあ、無理なくお付き合いしましょう。ご縁があればお話しを聞く機会もあるでしょう。人間なんて厄介なものでしてね。理屈だけで事が済むのなら神仏も出る幕がありません。わが教祖の教えは科学ですと仰いますが、科学も又宗教ではありませんか。
人を惑わすような教えや思考停止が宗教だとするなら、禅は宗教ではありません。勿論、何かを証明する為の過程ではないという意味で禅は科学でもありません。無理なく、自然に、私無く、人間らしく、限りある命を大事に生きているだけです。それに、自分が先ず救われればいい、というのは最も宗教心から遠いものではありませんか?
いずれにしても、あなたが満足できているならそれでいいではありませんか。私のようなお坊さんまで引き込もうとしなくても・・・あなたのやり方は尋常ではありません。常軌を逸していますよ。放っておいて頂けませんか。私は震災以後、引き籠り坊さんなんです。それに人の説教を聞くのが大嫌いでして・・・」

「ああ、そうですか。」

それが彼女の最後の言葉であった。引き籠り云々は三行半の言である。受話器の向こうで落胆している様子が想像できるのだが、こんなことではめげるような信者さんではなかろうとも思う。積極的で、活動的とも思える彼女の神経は、私より遥かに図太いに違いない。然し、何かが欠落していると感じた。それは、人と人の心が通じ合う回路のようなものかもしれない。彼女には他者の存在が感じられなかった。肥大化し、変質した自我の肌ざわりが漂っていたと言ってよい。宗教とは何なのかと改めて考えさせられたことであった。







よい記事と思われましたらポチっとお願い致します。合掌
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
そういう方は何処にもいますね。中学校の同級会では天○教、高校の同級会では生○の家の人が熱心に一人で講義してましたっけ。2次会にも参加せず早々に引き上げました。疲れるものですね。
くろちゃん
2011/11/12 09:12
こんばんは
 平日は忙しくてご無沙汰していました。
 そんなことをしなくても北陸は幸せ度が高いと統計にでていましたが。
湘次
2011/11/12 21:51
くろちゃん様。
自己の道を探すのに必死の余り、視野が狭くならないようにしなくては、と考えさせられるものです。私も似たように偏狭な世界で生きているのかもしれません。心しなくてはなりませんね。

湘次様。
ご多忙の中、コメントありがとうございます。
そうですね。
北陸三県が幸せ度上位を独占しました。ピンときませんが、自然豊かであることは間違いありません。
県民の満足度がどれほどか解りませんが。
(^^;

合掌
市堀
2011/11/13 06:43

コメントする help

ニックネーム
本 文
ある電話 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる