再生への旅

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zoom RSS 東日本大震災から九ヶ月

<<   作成日時 : 2011/12/12 05:21   >>

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掃き寄せて眩しき銀杏落葉かな 玉宗

東日本大震災から九ヶ月が経った。被災後初めての冬を迎えている被災者の皆さん。見た目には如何にも寒そうな仮設住宅で年末年始を過ごされることになる方々が大勢居られる。ぬくぬくと着脹れて冬籠りしているわが身が恥ずかしい。

能登半島地震でも指摘されたことであるが、仮設住宅には集会所としての一棟を設置するべきだというのがあった。それも神戸大震災で注目された孤独死を回避しようとの対応であると共に、一人暮らしではないにしても仮設住宅暮らしに大事なことは衣食住と共に、心の寄り添いが大事であることを再認識させられた現実があるだろう。災害は、人間が支え支えられてこその存在者であるという実相をあからさまする。

ところで、能登半島地震に被災して気付いたことだが、被災者は誰かに寄り添ってもらいたいという気持ちがあるとともに、一人でいたいという思いもあるものだ。被災の恐怖体験を忘れてしまいたい、然し忘れたくない。そのような矛盾と葛藤の中で、揺れながら生きていた。私は未だに被災者の苦労や心労を察するにつけ胸が締め付けられ泣きそうになる。地震は私の心を揺らしたのだということ。災害は被災者の心を揺さぶるのである。

そのような被災者にとって確かに時間は救いでもあったが、それは絶望と希望との螺旋階段を上るにも似た歩みでもあるだろう。人間は絶望や希望に徹するほど弱くも強くもない。ときに絶望し、ときに希望を抱く。その揺れこそが人間らしさというものであり、被災者の自立の難しさでもあろうか。東日本大震災に於いても孤独死が無くならない所以ではなかろうか。

私たちはときに被災者に心の手を差し伸べるが、そこに強要にも似た不自然さがありはしないか私は訝る。被災者の自立を支えるもの、それは物資の支援と共に心の自然な再生を身守るものであってほしい。一人の命の尊さが誰にも顧みられず亡くなっていく現実がある。被災者の自立にはゆったりとした一人の空間と時間が欠かせない。



喩ふれば冬木の如く夢見てや

忙しなき足音ばかり返り花

裸木となりて風呼び雲を呼ぶ

旅人に鰤起しとて喜ばれ

鰰や奈落のやうな夜が来る








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コメント(2件)

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[私たちはときに被災者に心の手を差し伸べるが、そこに強要にも似た不自然さがありはしないか私は訝る]
その点はいつも心しなければ、と肝に銘じています。ややもすると善意の押しつけ、の傾向になりがちです。自戒を込めて読ませて頂きました。
ありがとうございます。
くろちゃん
2011/12/12 07:42
くろちゃん様。
口はばったいことを申しました。
現地で支援活動している皆さんには頭が下がります。現場でなければ学び、気付かされないことが多くあることでしょう。
机上で云々して済まそうということ自体が許されることではありませんね。
支えられる人、支える人、共に幸いであることを望むばかりです。
合掌
市堀
2011/12/12 21:46

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