再生への旅

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zoom RSS 若者よ来たれ!

<<   作成日時 : 2011/12/23 05:12   >>

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人の来る夜はよく爆ぜる炭火かな 玉宗

創刊10周年を迎えた俳誌「栴檀」。発行所は岐阜県各務原市。地元は勿論、丹波、金沢、岡山、東京などにも会員がおり、積極的に句会等を開き研鑽に励んでいる。「栴檀」十二月号の主宰巻頭言『樹下随感105』をご紹介しよう。

若者よ来たれ! 辻 恵美子

「 今朝ベランダで洗濯物を干していたら、頭上で「キーキー」と響きわたるような鋭い鳥の声がしました。初鵙です。干すのを止めてしばらくその声に聞き入りました。
 鵙は繁殖期を終えると山から下り、縄張りを主張してけたたましく鳴きます。新たな季節の到来であるその声に何かしら心が躍りました。
 俳句をやっていると日常のささやかな季節感に敏感になり、そのことによって何となく心が豊かになります。自然をよろこび大事にしようとする気持ちは俳人なら誰でも同じです。
さて、そんな俳句愛好家に最近は若い人が少ないのです。日本全体に高齢化が進んでいますから恐らくどの分野でも同様の現象が起こっているでしょう。それはある面致しかたないことかもしれませんが、このままでは俳句は衰退化の道を辿る、いや既にそれが始まっているようにも思われます。

 わが「栴檀」でも二十代三十代の会員は数えるほどしかいません。沢木先生が「風」を始められたのは昭和二十一年ですが、当時の「風」は正に若者ばかりの集団であったことを思えば大変な違いです。
 若い人は感性が柔軟で発想が豊か、俳句を新しくするのに欠かせない存在です。「栴檀」はそういった人たちに俳句を広める為の取り組みを今計画中です。
 その一貫として先日は、岐阜FMわっちラジオ生放送にて、俳句の楽しさ面白さを語り、若い人がもっと俳句に取り組んで欲しい旨を訴えました。また、随分先の話になりますが、来年の四月二十一日(土)から毎月一回、五回にわたり、各務原市産業文化センターにて、二十代、三十代、四十代対象の、「俳句を楽しく」講座も計画中です。身内の方やお知り合いの方に是非お勧め願いたいと思っています。

 次世代へ繋げるということの他に、若い人の感性が、新風を吹き込み、私にもまた皆さんにも刺激を与えてくれる、そんなことになることを期待しているのです。」


「はじめての俳句」講座募集(やさしく楽しい講座ですよ!)

・20代〜40代の若い人が対象です。

・岐阜県各務原市産業文化センターにて
   (名鉄各務原線「市役所前」下車徒歩1分)

・第1回は2012年 4月21日(土)午後 1時半〜3時半
   (以後8月迄毎月第3土曜日午後1時半〜3時半の5回講座です)

・受講料は5回分2,000円(教材費、茶菓代を含みます)

・申し込みは葉書、又はfax(058-371-2164)にて
   住所、氏名、年齢、電話番号を明記の上

★〒504-0905 各務原市蘇原六軒町4−10−10−2−306
   栴檀発行所

★又はメールにて(mattari@xpost.plala.or.jp)迄




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私見を付け加えておきたい。

俳句界の高齢化が言われて久しいが、それはなにも俳句の現場だけの現象とも思えないし、相対的に高齢者が多い故に注目さているだけのことなのかもしれない。いつの時代でも若い世代が新風を吹き込んできただろうと思う。先達たちが危惧するまでもなく、現代でも若い俳句作家たちが俳句の可能性に青春を賭けている。少ないということだけで、それが見えないか、見ようとしないか。

私が気になるのはそのような現象ではなく、もっと俳句文芸の本質との関わり方の方である。俳諧という最短定型詩という型、典型、約束事という不自由な世界で、若者はどのようにその精神的自在さを獲得しているのだろうか。自由と自在は似て非なるものでろう。俳句を選ぶも選ばないも、文語口語、現代仮名を使うも使わないも、どの協会に属するも属さないも、心細いほどに自由であろう。それが作家の詩精神を高める自在さとなっているかどうか、そして俳諧という自在で、孤高な生き方をしているかどうかは別問題である。

俳諧の醍醐味、面目とは何だろうか?
和歌的世界から構造的に変質したということは一つの生きた社会思想であったに違いない。生き方としての俳諧。権威を離れ、伝統を離れ、自己を離れ、生死を離れる俳諧魂。
現代の若い俳句作家たちにとって、俳句とはどのような代物なのだろうかと思うことがある。伝統俳句にしろ、現代俳句にしろ、世を離れた俳句の潔さ、沈黙に堪え得るだけの良心があるのかと、私のような偏屈者は勘繰ったりする。彼らの俳句以前の絶望を問うてみたい。文芸を志すとはどのような世渡りなのか。依るべき権威を換えただけではないのか。

芭蕉も、一茶も、子規も虚子も、凡そ時代を切り開いた俳人は匕首のように俳諧を懐に潜ませて人生を渡っていたと思う。彼らの俳諧人生とはそれぞれの不自由な人生の中で匕首を自在に使いこなす歩みでもあっただろう。現代の若い作家の中にもそのような気概を持った人物が必ずいるに違いない。若い作家が少ないと必要以上に深刻になることはない。引き継ぐべきは、どこかの王朝貴族のような一結社の存続ではなく、俳諧の大道という本流をこそ絶やしてはならないのではないか。

若さが常に正しいとは限らないが、陰陽いずれにしても勢いがあるし、細く、湧き出でたばかりの、初で、清新な水の流れも大海へ向かっているには変わりない。その感性は今は大人と呼ばれるものにとって嘗て歩んだ轍の如きものかもしれないが、それを以ってして今現在輝いている感性の煌めきを否定する理由にはならない。俳諧という大志がある。大志を抱くのは、今も昔も若者の特権であろう。







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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ふるさとはあまりに遠し納豆汁

ようやく復帰致しました今後ともよろしくご指導のほど願い上げ奉ります。
yoshiyoshi
2011/12/23 06:56
yoshiyoshi様。
ブログ復帰、お疲れさまでした。
燻し銀の俳諧詩を期待しております。
合掌
市堀
2011/12/25 07:04

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