再生への旅

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zoom RSS 一休さんのお正月・本当のめでたさとは?!

<<   作成日時 : 2011/12/31 04:10   >>

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歳を越す一里塚とは知りながら 玉宗

大晦日である。年越しになると思いだす一休さんの道歌。

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

その外にも禅僧一休宗純が遺した言葉 として有名なものに以下のようなものがある。

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ


自由奔放で、奇行が多かったと言われる一休さん。以下のような逸話が伝わっている。

・印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。
・男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。
・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。
・親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如上人は「俺の商売道具に何をする」と言って、ふたりで大笑いしたという。
・正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。

・こうした一見奇抜な言動は中国臨済宗の僧・普化など唐代の禅者と通じるものがあり、教義の面では禅宗の風狂の精神の表れとされる。同時に、こうした行動を通して仏教の権威や形骸化を批判・風刺し仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らすものでもあった。彼の禅風は、直筆の法語として『七仏通誡偈』が残されていることからも伺える。
・この戒律や形式にとらわれない人間臭い生き方は民衆の共感を呼び、江戸時代に彼をモデルとして『一休咄』に代表される頓知咄(とんちばなし)を生み出す元となった。一休は能筆で知られる。>(Wikipediaより参照抜粋)

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ここに謂う『七仏通誡偈』とは「諸悪莫作・ 衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」のこと。過去現在未来の仏祖の法を貫通する基本理念といったものである。仏教は無我にて候とも云われる。世界と一体となること、それに覚醒すること。それが全てだと云っている。我儘勝手という自縛の道ではなく、自他の対立のない、二見に渉らない自在なものの見方、捉え方、忘れ方、生き方。

そのような禅者の眼差しに映る世相。生は死への途上の一里塚を越えていくようなものだという。彼らは幾度となく、これ見よがしに、くどいほどに、情け容赦なく、無分別に、場所柄の空気も弁えず命の実相を見誤るなと教え諭す。正月の目出度い折に「ドクロもないだろう」というのが人情である。一休の奇行と伝えられているものが全て風評の通りだとも思えないが、そのような世間の噂の風に乗るような「宗教的に前例のない事件」があったのだろう。解脱は与えられるものか、奪うものか、創造するものか。

一日、一年、十年、一生。人は時の節目をいやが上にも自覚する。明日知れぬわが身ながらも、命永らえて迎える今年の正月。「めでたい」という情緒を一休禅師だとて否定するものではなかろう。彼はそのような人の世を皮肉るようなへそ曲がりだったのだろうか。虚無観という思想を弄んだのだろうか。

そうではあるまい。「めでたい」という事の真相がどこまでも私的に偏り、目を晦ますものであるならば、それもまた煩悩の地平線上、輪廻転生の因縁となる。一休は先導してそのような自縛を断ち切り、「今」を十全に生きる典型たらんとしたのではないか。そんな禅師の純真さが当時の「めでたい僧侶や民衆」には奇行とも見えたのであろうし、こころある者には警鐘ときこえていたのだろう。

一寸先が闇であるのは一休さんに指摘されなくとも人生の真相であるのは誰でも知っていると云うであろう。先の当てにならない闇の人生であるからこそ人は光りを求める。問題はそこから先の話である。「莫作・ 奉行」というべき無私にして手垢のつかない「今」がある。生きるとはそのような「今」の繰り返しである。「再生可能な、めでたい、大慶至極の今」がある。そのような実相は未曾有の大震災に遭った現代でもなんら変わらない。

「めでたくもあり めでたくもなし」とは中途半端だと言っているのではない。私の受け取り方、生き方一つで「今」は極楽にも地獄にも展開するのだと諭していると思いたい。

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ということで、今年も「再生への旅」をご訪問下さった皆さま、励ましや御意見をお寄せ下さった皆様には心よりお礼申し上げます。来る辰年が希望に満ちた歩みとなることを祈念し、越年の御挨拶と致します。合掌

専祈 信力堅固、福慧増長、家内安全、諸縁如意吉祥








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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
『南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ』面白い禅僧一休宗純さんをご紹介いただき有難うございます。
先だっての名句『だれも母のやうに蜜柑を剥いてくれはせず』を思い出します。
来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年をお迎えください♪
たんと
2011/12/31 11:26
こんばんは
 一年間、ためになる話などなど楽しませていただきました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。
湘次
2011/12/31 19:52
こんばんは。
今年もあと二時間、カウントダウンが始まりますが、「めでたくもあり めでたくもなし」東北の被災地では、そうなんでしょうね。
頑張れば頑張るほど 死が近くなる。。。
後悔のないよう一日、一日過ごす事、、、、
来年も 宜しくお願いいたします。
お正月、食べすぎ注意くださいね。
私も気をつけます。
ルフレママ
2011/12/31 22:23
こんばんは
今年も大晦日にお邪魔しに参りました。
先日のIT句会では拙句を採っていただきありがとうございました。
そして榠樝の句につけていただいたコメント、
大変嬉しかったです。
一里塚をいくつ越してきたかと振りかえりながら
また次の一里塚を目指すのみですね。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
よいお年をお迎えください。
あかね
2011/12/31 23:53
たんと樣。
湘次様。
ルフレママ様。
あかね樣。

写真俳句の皆さま、2011年も楽しい写俳を有難うございました。
本年も更なるご健吟、シャッターチャンスを逃さないでくださいね。
お大事に。合掌
市堀玉宗
2012/01/02 10:09

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