再生への旅

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zoom RSS 誰かの希望であるように

<<   作成日時 : 2011/12/05 05:15   >>

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綿虫追ふ空があんまりつれなくて 玉宗

大河ドラマ「江」の最終回は徳川体制の元での国家安泰を夢見る主人公たちの姿を映し出し終っていた。その中で秀忠が正室の江に掛けた言葉が印象的だった。

「そなたは私の希望なのだ」

希望という言葉が江戸時代にも使われていたかどうかは知らないが、色々考えさせられる言葉ではある。
夫人が私にとって希望と言えるか?逆に夫人にとって私は希望として存在しているだろうか?わが子達にとって、親である私は彼らの希望だろうか。そして、私の親にとって私は希望であり得ただろうか?

生きるていることが誰かの希望であるような人生。正直なところ、そのようなことは考えもしなかったと言っていい。私はただ家族を愛していただけであったし、お坊さんという生き方も誰かの為とか、希望的存在になりたくて、といった動機ではなかった。私は、ただ生まれ変わりたかっただけであり、人並に生きて行くために仏道を頼りにしているというだけのことなのである。

希望の反対語はなんだろう?
絶望というのが一般的なようだが、「あきらめ」であろうと思う。希望は「あきらめないこと」と言ってもよい。私が、家族や隣人にとって希望というあきらめない生き方の典型ではなく、絶望というあきらめる典型になっていないかと心配している。

「あなたは私の希望です」と言われることは切ないほどに嬉しい言葉ではある。
それには私にとって生きることが喜びでなければならない。輝きながら生きている私でなくて、どうして人の希望になれるものだろうか。私は希望という可能性として輝いているだろうか。生きることへの希望。それこそが家族に伝え、遺すべき何物にも代えられない最優先の財産なのかもしれない。

大河ドラマ「江」が演出したものは徳川時代という壮大な家族ドラマだったと思う。







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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
考えさせられますね。
子の為に生きるとも違うし自身のために生きるとも違う、、、希望でありたいと願うとは?
正しい生き方、これも何が正しいのか最近ヒシと考え込むんですよ。諦めない生き方を見せたいです。
ルフレママ
2011/12/05 11:30
私が生きていることが希望だと言ってくれた人がいました。大事にしないと、いけませんね。
志村建世
2011/12/05 23:34
ルフレママ様。
親が人生にどう向き合っているか、子共はちゃんと見ているんでしょうね。的は外れているかもしれませんが、その勢いだけは感じている筈だと思っています。
お大事に。

志村建世様。
なるほど、希望だと言ってくださった方が居られましたか。さもありなん、という感じです。
大事にしたい人間がいる幸い。
合掌
市堀
2011/12/06 20:44
そうですね、「あなたは私の希望です。」と言われることがあれば、それは本当に嬉しいことですね。
私は言われたことはありませんが。ある子供に
まじめに言います。
そう言われた子供は、
ささやかに私の希望の星であったとしても、
私にだけは裏切らないように、
頑張ってくれるのではないかな、と思いながら。
心を込めて、私は、
「あなたは私の希望の星です。高く輝いていてね。」
言います。
遊子
2011/12/07 01:11
遊子様。
あなたが私の希望であるように、
私があなたの希望であるように、
そんな出会いに生きれたらどんなに幸いなことでしょうね。
合掌
市堀
2011/12/08 12:22

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