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zoom RSS 成人への道・大人とは何か?!

<<   作成日時 : 2012/01/10 05:17   >>

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而して妻と二人の雑煮かな 玉宗

各地の成人式の模様が報道されていた。例年のごとく酒を飲んで暴れる若者に呆れる一方に、東日本大震災の被災者でもある成人達の健気なまでに前向きな眼差しに涙ぐんでしまった。

私にも二十歳の時代があったことが信じられない思いなのだが、紛れもなく通過してきた果ての今の私である。未だに人並に生きて行けるだろうかと不安がある始末だが、思えば、若い頃がその不安感の絶頂でもあっただろうか。将来への漠とした不安。先が見えないということへの不安。自分が何者であるのか解らないことへ不安。自分が何者かに成れるだろうかという不安。不安の塊のような時代であった。そして、それがそのまま明日を生きて行くダイナモのように作用していた。

私の眼差しは未来ばかりへと向けられていた。その未来は暗黒・絶望・奈落でもあり、光り、希望、展望台でもあった。青春と煽てられていたが、実態は頭でっかちの宙ぶらりん。地に足がつくと言えば飯を食う時と眠るときくらいのものだった。若さとは無知と切っても切れない残酷さを持ち合わせ、無鉄砲であり、背伸びをしたがるものであり、観念的である。痛い目に遭わなければ解らない人生の真相があることを知ったのはそんな昔のことでもない。

成人がめでたいとは為政者の言いがかりだろうと反発していたが、老若問わず世間には目出度い人間がごまんといる事を知ることになる。固くになに拒んだのは成就とか典型という権威に屈したが如き生き樣であったが、自分の弱さを過大評価し、自分を裏切ることが大人になることだと云い聞かせたりしていた。自分の殻からは中々脱することができない。

成人とは何か?大人とは何か?

私の人生、それは現実という手強い世界を相手に、今をどう生きて行きぬこうか、今をどう凌いで生きていこうかといった観がある。なんと言っても、人との関係の中で活かされている事実を尊重しなければならなくなったし、社会人となると云う事はその間合いをを身につけることでもあっただろうか。生きて行くコツといったものが瘡蓋のように育っていった。それが私の半生といっていいだろう。そんな五十六歳の私が大人であるかどうか、誰も今更問題にしない。責任と義務と権利のバランスを欠いていなければ、人並な大人として認知されるが、目に見える社会性だけでは計れない大人としての内実・人間性といったものがあろう。

いい年をして幼稚極まりない欲望に右往左往している大人を見るのに苦労はしない。年齢相応の初心があるように、年齢相応の煩悩が付いて回る。口を開けば現実、現実と言うが、現実を尊重するという言葉の実際は現実に屈服しているのが相場である。可能性に飛躍するより不可能性に安住する。それが大人の大勢である。若者はその鋭敏な感性で、その腐臭を嗅いでいる。やがて自分達も、その可能性の屍に横たわるのが我慢ならないという訳である。

なんという純粋さ、なんという傲慢さ。そしてなんという美しさ。

若さは夢に生きるのが特権である。それは疑いがない。そうではあるが、特権も使い方を間違うと自他を傷つける凶器となる。若者達よ、大人たちの自傷の瘡蓋を見よ。
若さとは何か?老いるとは何か?
老若、共に命の実相である。どちらも諸行無常、空なる命である。老若共に、今、ここを初めて生きている。人生の後先、そんなものは幻想のようなもので、あってなきが如くではあるが、あることも事実である。尊重すべき現実、命の現場とはかくの如く一筋縄では行かないことを君らもやがて知ることであろう。成人とはそのような人生の実相を自覚的に歩み始める人間のことではなかろうか。






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