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zoom RSS 東日本大震災瓦礫の行方・国家レベルとは?

<<   作成日時 : 2012/01/19 05:37   >>

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霜の朝旅の途中の反古燃やす 玉宗

先日、東日本大震災で発生した「震災がれき」を受け入れる方針を固めた輪島市に早速、反対意見が電話とメール合わせて18日現在百件超寄せられたという。「放射能を拡散させないでほしい」「きれいな輪島を守れ」といったものが大半で、「困っている被災地を助けるのは当然」という賛成意見が二件あったという。がれきの受け入れ場所となる「輪島クリーンセンター」が立地する美谷町の住民は受け入れを容認する姿勢を示している。
市環境対策課は「汚染へ不安はもっともだ。安全性をしっかり確保した上で、粘り強く理解を求めていく」といった方針。

反対意見を寄せた人たちも、被災者のためになんとかしてやりたいという思いはあるにちがいない。それにしても多くの自治体の中で受け入れを表明しているのはごく僅かで、既に実施しているのは東京ぐらいだというのも正直どうなんだかと思う。瓦礫の撤去が進まなければ復興に支障が生ずるのは誰もが認めるところだと思うのだが、そうでもないのだろうか。瓦礫を野ざらしにしたままで出来る範囲の復興を進めるということか。

放射能汚染の安全性を確保した上での話にならざるを得ないというのもなんとも歯痒い。放射能がネックになっている。それさえなければ、日本全国の自治体が応分の瓦礫受け入れをすれば、被災地から瓦礫が無くなるのは困難なことでもなかろう。皆、少しづつ負担しあえばいいのである。国家的震災被害なのだから、自治体の自主性に委ねるというのではなく、義務にすればいい。それもこれも放射能汚染問題がクリアーされてのことであるか。

私のような単細胞には如何ともし難い社会的問題であるが、単細胞にはそれなりの理屈があって、民主主義というのはみんなが平等に利益を分け合う社会であるならば、みんなが平等に不利益も分け合うこともあってしかるべきかと考えたりしている。放射能瓦礫は広範囲な国有地に一括して国が管理すればいい。

本来、「国の責任で」とか「国の権限で」とかいった「国」の正体とは、私たち国民ひとりひとりの「総意」であり「代務者」のことであろう。そこでは国民が応分の負担や義務や権限を行使しているということになる。瓦礫撤去という国家的事業を進める覚悟があるならば、そのような国民レベルでの対応をもっと声高に推し進めるべきではないのだろうか。この場に及んで地方に瓦礫受け入れの権限移譲をして手を拱いている図は、「国」という無策の総意を盾にして不利益は御免蒙ると言っているに等しいのではないか。国家的対応が出来るかどうか。このような時こそ税金を有効に使ってほしい。国家的事業の優先順位と共に、経済大国日本の金銭感覚が試されている。

それ以上に、金では購えない日本人の心の豊かさが試されているのかもしれない。
東日本被災地の復興、それは日本人の政治的無関心、未成熟と言っては済まされない事の重大さに直面していると感じているのだが・・。私たちは新しい時代の神話を創造することができるだろうか。






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コメント(2件)

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鱶(ふか)を喰ひおためごかしの人もをり よし

どんだけ被災地に寄り添うといっても口先だけの人も多いのが本当のとこではありませんかね。
yoshiyoshi
2012/01/19 07:37
yoshiyoshi樣。
そうですね。
わが身を顧みて、人間の相場を買被る過ぎるきらいがあります。
自戒しなければなりません。
市堀
2012/01/20 22:16

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