再生への旅

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zoom RSS 可笑しくて、やがて切ない「あまめはぎ」

<<   作成日時 : 2012/02/05 05:36   >>

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風の子や〜い良い子悪い子春立ちぬ 玉宗

節分当日、全国各地の有名な寺社では、例年、力士や俳優・タレントさん達が裃姿で豆を捲いている映像が放映される。金沢では東廓の芸妓さん達が艶やかないで出で立ちで、鼻の下を伸ばしたおじさんたちに向かって豆を撒いていた。お寺も神社も大きいところがご利益も間違いないだろうという民意に絆された善男善女で溢れ返る。

寒行托鉢の終った節分の夜、永福寺本堂で節分のお経を一巻挙げて、豆撒きをした。撒いた豆を夫人と二人だけで拾っている図はなんだか哀れを通り越して可笑しかった。その点、夫人は小さいお寺でも、やるべきことはやるという誠実さを持ち合わせているから頼もしい。それにしても歳の数だけ豆を頬張ることも億劫になってきた。

北陸では「あまめはぎ」という鬼やらいの民俗行事が有名である。

「囲炉裏や火鉢に長くあたっているとできる火だこのことをアマメと言い、怠け者の証しとされている。これを剥ぎ取る妖怪がアマメハギである。類似の行事は日本各地に伝わっており特に裏日本に多く秋田県男鹿のなまはげや山形県遊佐町のアマハゲと類似する。また福井県にはあっぽっしゃなどの呼び名でも分布する。
能登地方では、正月と小正月の1月6日・14日・20日に輪島市の各地区で、節分の日に能登町で行われ、若者や子供が仮面を被って家々を回る。農閑期の終わりを前に、農民を管理していた当時の役人が農民達の怠惰を戒める為に鬼のような形相で各戸を訪問してきたことがルーツとされている。」 (以上、ウィキペディアより)

「あまめ」と呼ばれる、怠けもののしるしである坐り胼胝を剥ぎに来る「鬼」がいるというのだから凄い。それにしても疑問に思うのは、見ていると現代では子供が対象であるというところ。実際のところ冬籠りで炬燵で丸くなっているのは子供より大人の方ではないのだろうか。大人は冬場の農閑期に鋭気を養っているというのが現実であろう。漁師さんなら時化で海にも出られず悶々と籠っているしかない。東風が吹き、春になったらまた汗を流して働き出さなければならない。ひとときの安息を脅かす「あまめはぎ」。

思えば厳しい暮らしの現実を生き抜くための先人の知恵なのであろうか。それもユーモアを介するところが、神仏への畏れと共に、こんな運命を用意されたことへの嗟嘆が聞こえてくる。如何にも人間らしい文化ではなかろうか。
子供を相手にするというところもよく考えれば意味のあることで見逃せない。子供は「未来」「可能性」そのもである。家族や人の暮らしの継続を願う演出なのではなかろうか。大人の「あまめ」はもはや如何ともし難い。子供ならばまだ再生の可能性があるということであろう。三つ子の魂百まで。厳しい現実を逞しく生き抜いて欲しい。そのために怠け心を育てないようにしなさい、という優しい大人の思い遣りであったに違いない。

大人とは自らの内にそのような「鬼」を棲まわせて生きて来た人間のことである。大人が切ない存在でもある所以であろうか。






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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
お邪魔します。この処毎回タイトルだけで充分に私の心に響きます。もしかして和尚は私が見えているのかとふと思いました。今日は鍵コメがあればほんとに良かったのにと思いました。
Florentia55
2012/02/05 06:30
面様の童ら 照らす 大慈眼差し
我入らん その天蓋の内

無邪気さと切なさ織りなす煌めきが
じんじん じーんと...
貧女の一灯
2012/02/05 11:18
寒明けて何やら嬉し猫の喉   よし
yoshiyoshi
2012/02/05 16:17

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