再生への旅

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<<   作成日時 : 2012/03/16 04:34   >>

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思ひ思ひに椿は紅を尽くしけり 玉宗


もうすぐ彼岸の入りである。
朝の坐禅をしていても、障子に指す暁の明るさの移り変りを感じるようになった。

「私の坐禅」という言い方は「私のいのち」とか、「危険が危ない」と言うのと同じような自己撞着、歯痒さのようなもの、何を今更のような、大仰な観がないことはない。「私」と限定するまでもない、或いは限定することに意味がないような、「いのち」は「只、今であるばかり」の「事実」があるばかりである。それを仮に名づけて「私」としていることに異論はない。なんと言われようと「是の如く」あるばかりの代物である。

然し、「わたし、わたし」と事もなげに言いもし言われもするのだが、「私」とは何か?「人生」とは何か?というような言われのないことに若い頃から悩まされ、迷わされ、絶望や期待を繰り返してきたには違いない「私」ではある。
こころに自傷し、打ち身をつくり、瘡蓋をつくり、剥がし、舐め、彷徨し回帰し、再生の繰り返し。生きている私とはなんと厄介で、自己のいのちを受け入れるのに手間が掛かる存在であることに思いが到るのである。それは何という神様の仕業であろうかと思わないではない。不可抗力的に「私」は人生の受け身を覚えるようになった。

そのような人間が「何のためにこの世に生れて来たのか?」と自問するのはさほど荒唐無稽でもなかろうと思っている。ということで、人生の目的のようなものを敢えて神になり代って言うのなら、私は私になるためにこの世に生まれてきたとしか言いようがない。授かった命であるというどうしようもなさが私の属性としてあると言わざるを得ない。

因果の必然性を辿り切れない私にとって生きることは謎解きの道程でさえある。然し、例え生きることが予定調和であろうとも、今の様子には何の違和感も、不都合もないもののようである。それはつまり、私であるように生き、私でなくてもいいように生き、そのような事実の集積としての私として死んでゆくということなのだろう。

「私」は今のところ、人生に如何なる指定席をも予約されてはいない。「私」が「私」になるとは「指定席」に坐ることではない。「今」であるばかりであると言い逃れするしかないのである。

「いのち」とは「私」が作為し選択し解決したものではなく、「縁」としかいいようがない、不可思議な、手にも頭にも負えない「総和的な」ものである。しかし、「私」がいてもいなくてもなんともない世界を、「私」は中々受け入れることができなかった。それが「自己」の正体と云われても、頭は端的にそれを受け入れることができない。それほど「癖」がついてしまっている。

「私」という取るに足らない、それでいて取り返しの利かない、比較を越えたものが生きている。一元的でありながらも多元的であるような、絶対的でありながらも相対的であるような。「私」は「私」であって「私」でない、という言い方は決して詭弁ではない。「縁」という「命あらしめる」ものがゆらめきながら「私」を生きている、ようなことではないかと思っている次第である。

此処に「坐禅」という見た通りの「端的な姿、形」がある。

それは「ゆらめいている私」「私のゆらめき」を受け入れているようにも見える。「私の坐禅」又は「坐禅の私」は、そのような人間的ないのちの厄介さに関して決着済みでなければ「行」としての意味がない。または、答えそのものとして真っ只中でなければならない。それは「人間の所業」であって「人間の所業」ではない。それは「欲望の私、或いは私の欲望」を棚上げにしている。苦悩を脱せんとしている者の当然の帰趨であることを忘れてはならない。

今、ここに、こうして息を吐き、吸っている。この端的な事実のほかのどこに、「本当の私」とか、「仏法」とか「悟り」とか「真実」とか、或いは「苦悩」があるのか、或いはこの事実の端的さの外のどこに、「ある」とか「ない」とかという問題が生じるというのだろうか。このような「私」への言い掛かりは決して故なきものではない。坐禅に於いては「私が救われるとか救われない」と云う事さえ問題ではないように思える。「私の悟り」とかを持ちこむ筋合いのものではないことは言うまでもない。


それはまるで「いのち」の真っただ中で「いのち」を止揚しているかの如くである。






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コメント(2件)

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西行の袖も恋しや花見月  よし
yoshiyoshi
2012/03/16 14:09
yoshiyoshi樣。
西行、さいぎょは、あんな生き方したいですね。(^^)
市堀
2012/03/17 09:35

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