再生への旅

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zoom RSS 龍天に上る

<<   作成日時 : 2012/03/26 04:13   >>

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龍天に小さな花を咲かせけり 玉宗


お坊さんになってかれこれ三十年以上になる。出家の意思を伝えた際の両親の顔や姿を未だに忘れられないでいる。二人とも多くを語らなかった。
母は「おまえがそうしたいのなら仕様がないね・・・・」と言ったきり種芋の芽を掻いていた。父も又、「坊さんの世界もたいへんだろうな・・・」と言ったきり煙草を吹かしていた。

反対の言葉は一切なかったが、父や母が私の将来を案じていたことは間違いない。私自身が子を持つ親の身となってそれが切ないほど解る。というより、切なさだけがよく解る、といったところか。今では出家した私に対する父や母の気持ちを知る由もない。一般的に出家することが世に憚れるような風潮がまだ世間にはあろう。
何不自由なく育てたつもりの我が子が家と故郷を捨ててお坊さんになろうとしているのである。「何故?」という思いが両親にはあっただろう。親のこころ子知らず。子の心親知らず、と言いたいところだが、あの時、遺された親の気持ちなど顧みる余裕も優しさも私にはなかった。

それにしても、私は何故、家を出たがり、故郷を出たがったのだろう。
正直なところ、今では絆であるはずの故郷や家が柵となってしまったことが悔やまれる。故郷を遠く離れることをしなくても、自立した生き方ができなかったものか。人生の真相を知る術がこのような訣別の扉を開かなければならなかったとは、我が事ながら恨めしい限りである。
若さにある、別世界を夢見る特権と必然性。「現実的」であることに堪えられないという偏った潔癖性。然し、人生とは予定調和だけの世界ではなかった。創造的なものであると気付いたとき、若さは見事に己を裏切る。

いのちはいつも「原郷」を持ち歩いて今を生きている。
龍が天に上る志も又、還るべき魂の原郷を持っているからこそである。生きるとは自己の脱皮にも似た再生の繰り返しであり、雲を呼び、水を呼び、生を呼び、人を呼ぶ。わが命とは、そのような大いなる天地往還の命である。人は様々な「内なる龍」を育てて、諸行無常の人生模様を創り出していく。






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コメント(3件)

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今生の別れを泣かぬ巣立鳥  よし
yoshiyoshi
2012/03/26 07:53
息子さんのご卒業、おめでとうございます。
これで跡継ぎもめでたく安泰ですね。
ブログツイッター、フォローさせてもらいました♪
たんと
2012/03/26 12:28
yoshiyoshi様。

なるほど巣立ち鳥は泣いている余裕もなかろうというものです。(^^;

たんと様。
御無沙汰です。お祝のお言葉恐縮です。
ツイッターは意味もなく立ちあげたので、ブログが自動的に更新されているようです。何やっているんだか。(^^;

市堀
2012/03/27 12:34

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