再生への旅

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zoom RSS 生きる真骨頂

<<   作成日時 : 2012/03/03 04:43   >>

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蕗味噌を好み世間に遅れを取る 玉宗


「愚かさ」とはなんだろうか。
過ぎ去って既に跡形もないことを悔みつづけ、未だ来らざる幻影に怯え、今を蔑ろにして生きる。畢竟、妄想に執りつかれ二の足を踏み、不安になり、愚痴り、為すことなく光陰が過ぎて行く。自らの暗愚に墓穴を掘るようなものなのだろう。
命生きるとは本来、自己創造的なものではないだろうか。人生に失敗はあるかもしれないが、無駄なものは一つもないと心底思うようになった。愚かさから失敗をすることはある。然し、失敗をするから愚かだとは言い切れない。掛け替えもなく、比べようもない、各々の命限りの話である。愚かだと決めつけても何を解決したことにもならないではないか。

私は私になるために生まれ、生き、死んでゆく。その自己たるや、執着すべき何物もなく、無一物にして、隠しようも誤魔化しようもない、我などいてもいなくてもなんともない、あるとかないとかが問題外の、手垢や癖や贔屓のない清浄な、不足も余剰もない、作為を越えた彼岸にして無為、無為にして自在な、訳の解ったような解らない、何物かと一体であるところの自己である。永遠とは妄想に過ぎず、諸行無常に光り輝き、諸行無常に混沌たる今があるばかりである。手も足も着けようがない、私の都合を遥かに超えて、やって来たり去っていく無私なる世界。

そのような実相の命を生きている事実。それを仮に「私」という。そのような自己の自己たるを知らず、そのような自己の自己たるに落着できないで生きること、それをしも「愚の骨頂」と言いいたい。仏道は諸行無常の今、ここに徹する、命生き切ることを身上とし、要心とし、面目とする。坐禅はその基本の姿、生きる姿勢の「真骨頂」でありたい。








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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
孝悌は 仁を為すの本なりと
船出待つ浦に 舞う青海波

一人のお方が上山されることで、多くの人が大変貴重な学びの機会を得るのですね。
ありがたいことでございます。
貧女の一灯
2012/03/03 13:21
貧女の一灯樣。
一歩山門を潜るということは、自ら発心して来たということ。ものになるか、ならないか、自分次第ですね。
合掌
市堀
2012/03/05 08:26

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