再生への旅

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zoom RSS 高いお布施、安いお布施

<<   作成日時 : 2012/04/10 04:06   >>

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かんばせに朝の光りやうららけし 玉宗

 葬儀不要論とか、戒名不要論などといった世間の耳目を引く仏教界への問題提起が臆面もなくされるようになった昨今。日本人の宗教意識の変化、異質化とも言えようが、社会や時代への閉塞感や行き詰まり感と無関係ではないと見ているのは私だけだろうか。このような時代に法外な報酬を要求し、繁栄を謳歌している仏教界とは何なのか?といった正義感が漂っているのだろう。要するにお布施に対する金銭価値の信用が落ちているという現実があるのだろう。それはそのまま仏教者一般への不信とスライドしていく。

それは、布施が本来強要したり、一律化したり、定額化したり、項目化したり、商品化したり、対価化したりできるものでも、するべきものでもない、といった、布施の本義を説く以前、というか土俵の違う問題である。
「お布施が高い」とは何と比べて云い得る事なのかと疑問に思うことが時々ある。「お布施は安ければいいのか?」といった疑問もある。それもこれも、布施と云う行為はあくまでも施主本人の「貪りを離れ、心安んずるという宗教的実践行」であることを忘れてほしくないといった気持が私にはあるからだ。

勿論、これは檀信徒であるということを前提にしている。高いとか安いとかいった欲に絡まる不信が拭いきれないのであったら檀信徒の関係を断ち切るという方法もあろう。共同体の中にいて何がしかの変革や告発をするには勇気がいるし、ややこしいことだ。布施を管理している仏教者達に信用が置けないといったインサイダーの言い分もあるのだろう。その辺の人間的事情に仏教者は謙虚に耳を傾けなければならない。布施を受け取った方はそれが自己の仏道を支えるためのもの(伽藍の維持管理を含めて)であることを忘れてはならない。世間並の欲求を満足させるためにお布施を戴いている訳ではない、といった矜持を持つことに遠慮はいらないだろう。

「お布施は幾らお出しすればいいのですか?」
「いくらでもいいですよ」
「そうは仰っても相場といったものがあるんでしょう?」
「あると言えばあるし、ないと言えばない」

これはまだ聞く方も聞かれる方も良心的な対応なのかもしれない。
五万円より二十万円の方が金額が高いことは出す方も受け取る方も認識できる。布施する方もされる方も、五十万円の葬儀料を安いと感ずる人もいるだろうし、五万円の戒名を高いと感じる人もいるだろう。高いとも安いとも感じない人もいるだろう。「一般的な相場」という指標を参考にすることが間違っているというのではないが、「布施行」が「一般的な相場」で解決するものではなく、どこまでも一人一人の具体的な落着ぶりに関わっていることは免れ難いのである。

百円を惜しむ人もいる。百万円を惜しまない人もいる。お金が執着の対象になり易い事はだれしもが知っていることと思うのだが、布施を惜しむことが執着に縛られる事と同義であることを知る人は少ない。
生死に執着せず生きる。それが仏道。布施に纏わる問題の根本的な解決はここを外してはあり得ない。これをしも仏教者の詭弁、詐欺の手練手管と云うのならば、私は前代未聞の詐欺師と呼ばれてもいい。





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
花守の灯りの消えて酒を呑み  よし
yoshiyoshi
2012/04/10 07:45
yoshiyoshi樣。
タダより高いものはない。只には値段が付けられないと言う事で・・一杯やるしかありませんね。
(^^;
市堀
2012/04/12 08:06

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