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zoom RSS いのちの実相と未来・その1

<<   作成日時 : 2012/04/17 04:06   >>

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ふらここを見果てぬ夢が漕ぎ出しぬ 玉宗

曹洞宗宗務庁人権擁護推進本部から教区人権学習の資料が送られてきた。統一テーマは昨年同様「いのち」。オムニバス形式のテキスト『向き合う 伝える 支えあう〜生と死を見つめて〜』
1、いのちと向きあう ふじ内科クリニック院長 内藤いづみ氏
2、子どもと向きあう 国立教育政策研究所生徒指導研究センター総括研究員 滝 充氏
3、老いと向きあう 歓盛寺住職・特別営利活動法人「よりどころ」副理事長 仙田智治師
4、未来と向きあう 南三陸町西光寺住職 小沢良孝師 他
5、向き合う 伝える 支えあう 前大本山總持寺後堂・盛田正孝師

これらは畢竟「いのちの実相とその未来」についての考察と実践ガイドであろうと私は捉えているのだが、先ずは今回、その中で総括している前大本山總持寺後堂・盛田正孝老師の提言を紹介させていただく。

人は人と関わって生きている
 絆であるとか、人とどう関わるか、支えあうかがテーマとして出てくること自体、それが整っていないということです。人間は本来、社会的な存在ですから、人と関わらないで生きていくはずがないんです。これはもう自明であるはずなんです。
ところが今の世の中は、ひとりで生きていけるような気になる条件が揃っているわけです。しかしそこで自分が人間として生きていく手ごたえを得られるかと設問してみればそれはできない。確かに人と会わなければ気が楽ですが、人と関わることによってにみ、自分が生きているという実感は生まれるというふうに人間はできていると受け止めるべきなんです。

自分の存在を証明するのは相手
 「是あれば彼あり、彼滅すれば是滅す」というダーナの教えがあります。普通は私が儲かれば相手が損をするというのが理論ですが、お釈迦さまはそうじゃないとおっしゃったわけです。自分が幸せになりたいと思ったならば、相手を幸せにしてあげなさいという原理です。自分の人生に手応えや実感が持てない人は、「自分で」と思うんです。そうではなくて、自分の存在を証明するのは相手なんです。それは、関わり合いの中で相手が私の存在を証明してくれるのです。相手の存在を証明していくのが自分になったりするという関係性をもっと知るべきで、そうなれば、関わっていかなければ自分の人生を全うすることはできないということになりますよね。

関わるとは居合わせること
 絆だとか、関わり合い、支えあうことは理論ではなく、実際に関わってみて、関わり合いの中で関わり方が分かるのです。それ以外に関わり方が分かる方法はないです。想像力である程度分かるような気がしますが、距離感覚はやってみないとわからない。
その中で、関わるというのはその場に居合わせること。その場に居合わせて、それをしっかり受け止めて、引き受けて生きていくことです。
親子でも、家庭でも、地域でも、その場でそうして生きていく。それが大事だと思います。>

<様々な事情により「絆」を断ち切られ、「安心して生きる」ことができない方々がたくさんいらっしゃいます。特に東日本大震災から一年以上が経過しましたが、まだ苦しんでおられる方がたくさんいます。
 私たちは、常に関心を寄せ、その方の存在、そしていのちを尊重しながら、積極的に関わり、受け止めていくことが、「向きあう 伝える 支えあう」の実践に繋がっていくのではないでしょうか。(資料あとがきより抜粋)>

     
これらの資料は宗門における人権学習の一環として各寺院に配布されている。教区単位での学習会もあることであろうが、私の問題として考察してみたい。

確かに関わりあうことは大切なことであり、それは人間存在として必要な前提条件であろう。生きるとは「縁」という「清浄な今」を受け入れて生きることに他ならない。然し、「縁」といえば「人間関係」だけではない。人の努力や善意や倫理、常識だけで展開する「関係」だけが「縁」ではない。人は勿論のこと、ものや事、四苦八苦、生老病死、成功失敗、迷悟、あったりなかったりすること、等々、全ての「関係性」が「縁」である。つまり「諸行無常」そのものが「縁」である「仏性」であるというのが「仏法」である。それは本来的に人間の都合を越えているし、より好みができないものである。だからこそ人生の「宝」なのであり、それをどう活かすかが人生の意義であり、醍醐味なのだと思っている。

そのような精進の彼岸に宗門の安心があるのではなかったか。

人の善意や努力を虚しいとか否定したりしているのではない。関わりあうにも、伝えるにも、支えあうにも、人だけではなく、人を越えた世界との関わりがあって然るべきであろう。人と人、他と自、ものと心、ものともの、こころとこころ、自己と自己、自己と自己を越えたもの等々。関わり合いの態様も千差万別であろう。

<この記事続く>






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
真実は見果てぬ夢か緋桃咲く  よし
yoshiyoshi
2012/04/17 04:18
yoshiyoshi樣。
境内の桃の花が蔓延りすぎて昨年末、剪定し過ぎて、夫人にしこたま軽蔑され続けています。(笑)

市堀
2012/04/19 20:18

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