再生への旅

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zoom RSS 「真砂」という店

<<   作成日時 : 2012/04/23 04:05   >>

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蜘蛛となり愛に彷徨ふ春の夢 玉宗

北海道渡島半島の噴火湾沿いに「森町」というところがある。
駒ケ岳の裾野も広がり、凾館も近い。「イカ飯」の駅弁で有名である。学校を卒業し公務員をしていた私であるが、間もなく最初の転任地が森町であった。初めての独り暮らしでもあり、五時に公舎を退きアパートに帰っても時間を持て余すようになった。公務員にはなったが鬱々とした日々を過ごしていた私である。自分の生き方に決着がつかないでいた。今から三十有余年も前の話である。

休日にはよく駅前に外出をした。ホームの先は砂浜であり、その向うには太平洋が広がっている。それは故郷の景色と似ており、波の音や潮の香りが懐かしく、そしてやるせなかった。海を目の前に坐っては人生の展望が開けないことを嘆き、自らを憐れんでいた。始まったばかりの社会人生活が恰も人生の終着駅でもあるかのように。
自分が本当にやりたいこと、それが解らずにいた。自分に出来ることとやりたいことは別であることを知るのはずっと先のことである。解らないままに公務員として社会に飛び出してしまっていた。自分はまだ人生の選択をしていない。決断を先延ばししている。そんな思いにいつも包まれていた。後悔と焦躁感。てのひらに掬う砂が零れるのを見てさえ溜息を吐いていたものである。

そんな公務員生活のある日、一人でふらりと駅前の路地の店に立ち寄ったのが「真砂」である。カフェバーとでもいうのであろうか。六十歳を越えたママの他に若い娘が三人。みな私より年上である。妖しげな雰囲気がないこともなかった。いつのまにか常連になった私は、カウンターの隅に腰掛けた。いつも一人でやってくる若い田舎者の私を彼女たちは「僕ちゃん」と呼ぶようになった。
私はどちらかと言えば会話も少ない、近付き難いお客であっただろう。然し、そこは手慣れたものである。私の憂鬱などどこ吹く風。みな自分のペースで生きているのが新米の社会人である私には面白かった。三人の中では「お姉さん」と呼ばれていた女性が私を見るといつも声を掛けて近づいてきた。いつも着物を着ていて、小柄ではあるがどちらかと言えばメリハリの利いた顔である。その顔と言動にいつの間にか惹かれるようになっていった。

「真砂」へ通うことで役人生活のつまらなさを少しは忘れることが出来るようになってはいた。「お姉さん」はいつも明るく私に接してくれたし、こういう生き方もありかな、と思ったりもした。然し、私の人生への自問自答は少しも解決してはいなかったし、糸口さえもなかった。お酒を飲んでも、彼女に会っても、自分の不甲斐なさを確認するだけである。私が抱えていた人生の憂鬱と云ったものは取るに足らないものではあろうが、そうであるからこそ本人にしてみれば免れ難い難問であったし、ましてそれを人に説明し、理解をえることなど不可能に近いことを知りつつあった。そして、いつの間にかそんな「真砂」へ通うのが苦痛になってきていた。男として自分の人生を選択しかねていては遊ぶ資格もないし、人を恋する資格もない、それ以前の問題である。そのような意識に苛まれ、自分を追い込んで行った。

そんな私の不甲斐ない森町での暮らしであったが、ある日、思うことあって公務員を辞めることを決意した。辞めてどうするとまでは決めていた訳ではないが、とにかく辞めなければ精神的にも、肉体的にも駄目になってしまいそうだった。
後は荷物を纏めて故郷へ引き揚げるだけとなったある日、私は「真砂」へ行った。
突然に町を去ることを告げると彼女は驚き、そして少し憐れむような顔をした。私の悩みが本気であったことに気付いたといった感じである。出会って一年ほどの事である。彼女にしてみれば唐突であっただろうし、後先考えない男の心理のややこしさに閉口したかもしれない。


函館本線森駅のホームには噴火湾からの潮風が緩やかに吹いていた。
これからの人生の紆余曲折を知る由もなかった私ではあるが、自らの決断で先ず第一歩を踏み出したことへの嬉しさと昂りとそして妙に明るい一抹の不安の中にいた。

汽車が動き出し、まさか、と思ったが改札口の方へ目をやった。

彼女が手を振っていた。
いつも店では着物なのだが、あの日は地味な洋服で見送っていた。それまで店では見せた事もない母親のような優しい表情で手を振っている。お店の女が駅のホームで手を振っているのである。訝しがる人の目もあっただろう。それでも彼女はいつまでも手を振っていた。あのとき私はどんな表情で小さくなってゆく彼女を見ていたのだろうか。私はあの時確かに目に見えない人生の絆を一つ断ち切ったのだ。人生が一つの賭けであることを実感した最初である。



顧みて、私と云う人間はなんと人間たらしで、単純で、自分勝手な生きものであったのかと今にして思う。
彼女は彼女なりに私にエールを送ってくれていたのは違いないのである。そのような真心に思い致す事もなく、私はその後出家への縁に導かれて流転の人生を歩むことになる。ある意味、脇目もふらず生きて来たと言ってよい。私の念頭には自己の人生を獲得するといった目的しかなかった。愚かな事である。
今日まで多くの愛憎や出会いや別れがあったが、青春というにはあまりに貧しく、性急な、そして彷徨の日々。そんな中で、最後の言葉を交わす事もなかったあの日の訣れ。

自分の身勝手さや行き詰まりと裏腹に、眩しく生きていた彼女の優しさを今でも時々思い出す事がある。






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コメント(5件)

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若き日を恥ずかしがらず蛙の子  よし
yoshiyoshi
2012/04/23 07:43
こんばんは。
玉宗さんのほろ苦い思い出を しみじみと読みました。
誰にでもある青春のひとコマですね。
いい思い出として残る別れ、大事に閉まっておいてください。
彼女は今頃 幸せで素敵な奥様なんでしょうね。
ルフレママ
2012/04/23 21:40
玉宗さんにしてこの思い出ありで、少しほっとしました。ご夫人はこのブログを読むでしょうか。無事に一日が終りますように。
志村建世
2012/04/23 23:11
このお話、以前お聞きしたことがあるような気もしますが、じゃなかった、もしかしてもう一人の方の話だったかもしれません。
私もルフレママさんや志村さんと同じコメントです。
“眩しく生きていた彼女の優しさを今でも時々思い出す事がある。”
この部分が問題発言なのですよね。

花てぼ
2012/04/24 18:29
yoshiyoshi樣。
まあ、そういう事です。(笑)

ルフレママ様。
実はその女性が今の奥さんなんです。なんて嘘です。(笑)

志村建世樣。
今のところ平穏に過ごしております。合掌

花てぼ様。
実は迷ったのですよね。この文章があるとないとでは月とすっぽん、単なる自慢話のようになるのではないかと・・そういう意味では確かに問題発言ではあります。
削除しようかな・・・(笑)
市堀
2012/04/24 20:29

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