再生への旅

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zoom RSS 何樣、俺様、仏様。

<<   作成日時 : 2012/04/25 04:00   >>

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残花惜しまんそこをどいてくれないか 玉宗


無礼なる夫人の観察によると私の口癖は「何様だ!」ということらしい。
それは夫人に対してだけのものではなく、見聞する人間模様への、一言居士たる私の常套句だというのである。
呆れた顔で夫人はのたまうのである。

「そういうお父さんは何様なんでしょうか!」

言うて聞かせても中々に得心出来ないようなので、流石に今では「俺様だ。」とは言い返さなくなったが、内心は世を憂うること穏やかではない。

さて「俺様」とはなにごとであるか。
「私が髪を剃っているのは自由に生きて行きたいからです。」と正直に言うと、「えっ?」とした顔をされる方が結構いらっしゃる。日常、「私、わたし」と事もなげに、何気なく言いもし、聞きとめもしているのだが、どうも「自己」への見解に隔たりがあるらしいのだ。

人生は偶然の所産と云えばそうであろうし、必然と云えば又そのようなものでもあろう。人生には思いに余ることが余りに多い。いずれにしても、儚く、思い通りにならないことに変りはなく、畢竟私は何も知らないに等しいと結論付けて久しい。私という星屑はおのれの来し方行く末を思案したりしなかったり、自己否定したり肯定したり、実に厄介で、興味が尽きない、不思議な存在である。

人様や世の中を変えることなど私には不可能であろうし、名乗りをあげ挑戦しようとも思わなくなったのはもうずっと以前のようである。お坊さんになった今でも、実はそのような土俵に乗るつもりはサラサラないのである。然し、人様に指摘されるまでもなく、わが人生の経験則からみて、自分を変えることなら可能性がありそうだった。出家し髪を剃り、黒染めの衣を纏うこと、それは分りやすく言えば自己変革の土俵に上がったということである。私にとってそれは一つの、つまり引くに引けない賭け、というか挑戦のようなものであった。矛先が内へ向かったと言えようか。

偶像や権威に屈し、又は衆を嵩に着た生き方もしたくない。暴力はご免だ。さてどうするか。出家の要因にそのような一寸の虫の一念があったことは確かである。出家したことで私は己の弱さを楯とすることができるようになったと言い逃れしてもよい。
弱者は弱者なりに逞しく生きる術を身につけてゆかなければならない。しかし、そのような都合はどこまでも人間的欲望の話。つまり私の妄相であることを知らないと痛い目に合う。弱いとか強いとか、それはいったい何のことかということだ。自己贔屓の眼差しに真の自由の地平など展開されるとも思えない。

私がいてもいなくて実になんともない世界。それこそが私の還るべき原郷であろうし、真に自在になれる未来ではないのか。私の思いを越えた大いなるものと一体であろうとすること。それこそが、私を真に自在な境地へ誘うのではないか、というより既にそのような世界に今、生きている。これは私の信念になりつつある。「自由に生きて行きたい」とは、それほどの慎ましい夢に生きる覚悟のことである。

人みなそれぞれ人生に賭けているものは、掛け替えのない、まっさらな命。比較を絶した、千載一遇の自己のいのちを粗末にしないこと。私の選択した出家と言う社会性、お坊さんとして人生を旅する姿勢とはこのような単純なものなのである。

さて、前置きが長くなってしまったが、私のみならず、人間みなそのような「俺様」なのである、というのが私の勝手な言い分。依って立つ中身は空っぽな宝箱、裸の俺様の実態なのである。
私の「何樣」発言にはそのような深〜い意義がある。みなそのような尊い「俺様」を戴いているのではありませんか、と言いたい訳である。尊い「俺様」という「ほとけの命」を戴く事。それこそが「人生の一大事」なのだと言い換えてもいい。そのような「戴く」という契機を邪魔したり、「私が、わたしが、」と頭上に頭をかさねるような愚を犯す、唖然たる人物や事件がままにある。

「いったい、何様のつもりでそんな勿体ない事を。」

「何様!」の真意はその辺においている積りなのだが・・・

しかし、夫人との夫婦喧嘩ではそのような意義ある言葉の領域を逸脱しているのは誤魔化しようもない。夫人にはそれが判るらしいのだ。嗚呼   (以前の記事を加筆訂正しました)







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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
死ぬる日を小脇に抱え鐘供養  よし
yoshiyoshi
2012/04/25 08:07
こんにちは。
毎日良いお天気が続いています。

昨日は近所のチューリップの手入れをされている方(男性)とお話が出来ました。
ミステリーサークルのようなデザインはその日の気分、寒かったのでまだ丈が揃いませんとおっしゃっていました。
全部開いたらまたUP致しますね。半分自分のチュ−リップような気がしています(笑)

独活の句良いですね。
山菜の名もお寺の雰囲気が入ると一段と、山深く緑深く神聖な植物のイメージになります。
いらくさ
2012/04/25 11:59
yoshiyoshi樣。
なんとも風流ですね。「地獄見て来たりし鐘の供養かな 玉宗」

いらくさ様。
今年初めて植えたお寺のチューリップが元気に咲いています。4種類ほど夫人が植えたようです。
「チューリップ喜びだけを持っている 細身綾子」ですね。(^^;
市堀
2012/04/28 16:18

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