再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 仏道とIT革命?!

<<   作成日時 : 2012/04/26 04:05   >>

トラックバック 1 / コメント 3

画像


花吹雪これみよがしのさやうなら 玉宗

昨日からふと気になりだしたのは「ブログやフエイスブックやツイッターとは一体何なのだろうか」ということである。その正体をはっきりさせて付き合った方がいいのではないかと遅まきながら気付いた。

私の場合、文章量から言えばブログが一番多い。そしてFB、ツイッター。この二つはときにリアルタイムに相手と「会話」ができる。ブログは「会話」と言う感じが薄いが、「コメント」などでやりとりできる。いずれも「不特定多数」の「見えない相手」を対象に「私の情報」を「発信」している「道具」であろう。「発信」も「受信するしない」も「無視する」も「一方的」に可能である。
「一方向性」を危惧する向きもあるが、「道具」も使いようである。「表現」が相手に受け入れられて初めて完成することはITという道具においても同様であろう。達人と言われる人は「道具」を駆使して「もの」を創り出す。「IT」という「道具」を駆使して現代人は何を作り出そうとしているのだろうか?
又、「IT」を使いこなせる者とそうでない者の間に生じる社会的な格差(デジタルデバイド)などの問題が懸念されているが、そのような「道具を使いこなす格差」は今に始まったことでもなく、原始時代からの風景なのかもしれない。

社会には数えきれない「道具」に満ち溢れている。大なり小なり、文明とは「道具」の展示場のようなものではないか。「マッチ一本」で助かることもあれば、「原発」という「道具」を持て余すこともある現実だ。そして見逃してならない事はブログやFBやツイッターといった「道具」に共通する「つぶやきの本質」である。

「個人的情報」といっても犯罪の標的になるようなものではなく、「個人的見解・つぶやき」といったものであろう。
「つぶやき」は本来その場限りのものと言ってよい。虚しいと言えば虚しいが、「その場限り」として「間にあっている」ことも事実である。そしてまた、誰に対して「つぶやいて」いるのか判然としないところがある。それはもしかしたら「もう一人の私」かもしれない。

画像


「つぶやき」とは聞いてもらえなくてもなんともないものであり、聞いてもらえれば嬉しいかな、みたいなところもある。ナマな人間関係が濃密であれば「呟き」などは必要なかっただろうし、生まれて来る必然性もなかった。個人の空間や時間が尊重され、偏重される現代に至って、我々はナマな人間関係を必要としなくなった現実がある。文明と言う「道具」は本質的に「人間の手間を省くもの」であり、必然的に時間は余り、人も余るということになったのだろう。我々は今「一人の時間をどうするか」という「一億総個別化対策」の時代に生きているのかもしれない。

そのような中で、ブログやFBやツイッターというものにはどこか「人間らしさ」が感じられるのは私だけだろうか?それこそ錯覚、妄想だと指摘する方も居られよう。然し、これは私の経験則からの物言いであるが、「ナマな人間関係」「リアルな現実」というものが当てにならず、幻想であったり、裏切られたり、ものの実相を見えなくしていることも結構あるものだ。何事も偏ってはならないことは言うまでもないが、「現実尊重」「現場重視」という掛け声が目を塞ぎ耳を閉ざす危うさを忘れてはならないと思う。

「実」に倒れた物は「実」に依って立ち上がるのも真実だが、「虚」に依って立ち上がれるのも紛れもない「現実」であろう。IT革命、それはもしかしたら「新しい人間らしさの関係」といったものかもしれない。
いつの時代でも「一人の時間」という「道具」をどう使う事ができるがが問われている。そして仏道的には「時間」とは「わが命」のことであることも付け加えておきたい。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
「つぶやき」とは何か?!
妻の名を先ず呟けり昼寝覚 玉宗 ...続きを見る
再生への旅
2012/06/02 04:09

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
噛めぬのにひとつ買うたり臍蜜柑  よし
yoshiyoshi
2012/04/26 06:45
ITつまりソーシャルメディアが、「一人の時間という道具」であるというのは、かなり真実に近い気がします。そして「つぶやき」は、人間の発する本音に近いものです。釈迦が現代にいたら、ブログを通して思考し、twitterで布教したかもしれません。
それを弟子たちがFACEBOOKで討論して体系化したら、さて、仏教は成立したでしょうか。
志村建世
2012/04/26 23:36
yoshiyoshi樣。
ネーブルのことを臍みかんというのですね。なるほど見た通りですが、出べそということになるのでしょうね。

志村建世樣。
そうですね。本音であるということを書き忘れました。お釈迦さまですか・・まあ、世も末といった観が無いではありません。このような道具が無いに越したことはないと思ってはいますが、歴史は引き返せないということで、志村さんの指摘は戯論ということでお見逃しください。(^^;

市堀
2012/04/28 16:23

コメントする help

ニックネーム
本 文
仏道とIT革命?! 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる