再生への旅

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zoom RSS 石の上に生きる

<<   作成日時 : 2012/04/07 04:09   >>

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谷間に風灌ぎ入れ花山葵 玉宗

倅が大学に入学し名古屋で一人暮らしをすることになったとき、親である私には息子が独り立ちしたとか、旅立ったといった感覚がなかった。学生がモラトリアム期間であり、なんだかんだ言っても親の庇護下、脛を齧っての社会生活であるからであろう。
然し、今回、卒業と共に、仏弟子の歩みを始めたことは私にとっても、彼にとっても予想外とは云わないまでも、お互いにとって新しい人生の展開になったことは間違いない。どこかに期待を抱いていたとはいえ、人生の選択を彼自身の決断に委ねていた私にしてみれば、私自身も又、新たな運命を背負わされたと云っても過言ではなかった。

そして今、僧堂という、謂わば仏弟子養育機関という大学生活とは違った実践取得の場に身を委ねた訳である。目と鼻の先に居るとはいえ、私の手元を離れていることには変わりない。一人前の仏弟子になるまでの年月を思えば、やはり遥かな道程であるといった感が強い。同行ではあるが、一人前になるまでは死んだものと覚悟しなければと日々云い聞かせている。情に流されることは私自身の為にも、彼自身のためにもならない。

どの世界でも、一人前と認められるまでには年数が掛るものだ。修行の非情さや厳しさ、そして、お坊さんの社会的存在意義といったものを考えた時、彼の前途は決して生易しいものではない。人生は人様との競争ではないが、自己克己の道程であることは仏弟子とて同様である。生き方としての仏弟子としても、職業としてのお坊さんとしても、逞しく生きて行く力量を身につけることに何の遠慮もいらない。

石の上にも三年。面壁九年。死ぬまで修行。「石」も「面壁」も「生死」も、いずれも自己の帰るべき原郷であり、創造するべき未来である。結果とか過程といったものは幻想である。まっさらな可能性に満ちた今の命があるばかりと肝に銘じ、臍を決めて生きてほしい。親ばかを笑われている私であるが、偽らざる願いを取り下げるつもりはない。







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コメント(4件)

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生きるとは死ぬるまでなり上り鮎  よし
yoshiyoshi
2012/04/07 04:22
yoshiyoshi様。
いつもながら、私の論は何も言っていない事にひとしく、云わずもがなのことばかり。教外別伝っていうんですか?(^^;


市堀
2012/04/07 20:48
「興禅寺徒弟 市堀孝宗」さんという同行者が間もなく参加するのですね。孝行息子であり弟子であり同業者であり……。親子であることの難しさは、私も経験しました。
志村建世
2012/04/07 22:44
志村建世様。
理と情が絡み合う人生の展開が予想されます。(笑)
市堀
2012/04/09 08:52

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