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zoom RSS 親ばか大作戦・その2「花まつりデビュー」

<<   作成日時 : 2012/05/10 03:43   >>

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灌仏や命のやうに濡れそぼつ 玉宗

大本山總持寺祖院の釈尊降誕会が5月8日に厳修された。
わが弟子の僧堂における三仏忌法要デビューである。以下の写真を含めた様子は、ご詠歌で法要に随喜した夫人になる情報開示である。(んな、大袈裟なもんでもないけどね・・)
で、写真に随って説明してみると・・・

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↑ まあ、人数も少ないという事もあるのだろうけど、いきなり「侍者」の配役を任されている。導師の線香持ちでと言ってしまえばそれまでであるが・・本来、入堂して二カ月足らずで任されるような役ではない。ん、羨ましい。立ち姿も悪くはないが、首を下げ過ぎ。叉手がぶれているのはどうしたことかいの。緊張しているのが解る。

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↑ 受業の法系では伯父に当たる監院老師より手ずから献茶湯器を伝供しているの図。口に榊の葉を銜え息を掛けないようにするのが作法である。

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↑ 上山前に特訓した「大仏頂万行首楞厳陀羅尼」の「遶行」である。ん〜、経本を離し過ぎだ。そういえばメガネの度が合わないとかで、近づけ過ぎると目が痛くなるようなことを言っていた。学生時代はコンタクトレンズだったが、僧堂ではメガネがよかろうということで急遽設えたのである。背筋が伸びているのは及第点を上げてもよかろう。

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↑ 法要終わって、導師の後に随って下がるところ。合掌しているのが孝宗であるが、綺麗な合掌じゃないか・・・というか。方丈へ戻るときは侍者は合掌するんでしたっけ?

まあ、どっちでもいいけど。形から入る弁道ということで違和感を覚える方もいるかもしれないが、「作法」という形も徒や疎かならないもので、長い時間の中で精錬された魂の器なのである。人間は千差万別ではあるが、煩悩の幻想さ加減は大差ないと言ってよかろう。禅の作法とは、そのような煩悩に浮いた人間を型にはめるのではなく、空っぽにする為の方便であるだろう。嘘も方便と言うが、方便とは「そのもの」へ辿り着く「最短距離」と言ってよい。これを「承当」とも言う。

一般的には「急がば回れ」とは「煩悩」に迷っている者への指示であるが、仏道に於ける「方便」もつまるところそういうことである。「進歩」ではなく「退歩」を学ぶ所以でもある。「退歩」は「直入」に越したことはない。何故か?弁道は呑気なことを言ってられない。迷っているのはどこのどいつなのだ!他人事ではない。今、ここで迷っている者の為の修行であるのが建前である。「作法・形」という「方便」が必要欠くべからざる所以である。

孝宗にもそのような「初心の自覚」が必要とされている。そのようなことはどの道でも一人前になる為の共通の条件ではなかろうか。





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コメント(2件)

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学生さんから、いきなりこんなところに放り込まれたら寅さんでなくても大変だろうなぁと思うぞよ。つくづくと青年頑張れよ!と云いたくなるなぁ。

自戒せむ親の思いは競馬(くらべうま)  よし
yoshiyoshi
2012/05/10 07:12
yoshiyoshi様。
おおきに。応援ありがとうございます。
合掌
市堀
2012/05/11 13:57

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