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zoom RSS 「正しさ」とは何か?!

<<   作成日時 : 2012/05/12 04:36   >>

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鹿の子のまだ虹を見ぬ眸かな 玉宗

「正しさ」とは何だろうか?
又、「正しく生きるとは、正しい生き方とは?」といった自問自答が時々首を擡げる。何をもって「正しい」「正しくない」と判別するのか。「価値観や判断基準」が人や団体で異なることはよくあること。時代や国によっても差異がある。

「正」は「一に止まる」と書く。「一」と何か?

もしかしたら、誰にとっての正しさなのかという枠組みの中での話なのかもしれない。「一」は最大公約数的な指標なのだろうか。そのような「正しさ」は様々な関係性の中でのことに他ならない。「正しさ」に拘るということは関係性の作用と反作用に過ぎず、そして恐らく、そういうことだけの話なのだろう。「正義」という様々な「義」があり、ときに争うことがあるのも又よくあることだ。そのようなことは「難行苦行」「自力他力」などといった「定義」の話に於いても同じ程度の問題である。

仏道はそのような「一」を立てない。
仏道で言う「正法」の「正」が示唆するところの「一」は「相対的一」ではないだろう。敢えて言えば「絶対的一」といったところではないか。「絶対的」というからには相対する次元の話ではない。であるから「一」と言っても「無限」と言っても、「ある」とも「無い」とも「必然」とも「偶然」ともいってもなんと言ってもいいだろう。言葉や定義を遥かに超えて、今、ここに、かくのごとくであるもの。諸行無常の端的。

例えば眼前に展開する命あるものは消滅するという事実。これを「一」と呼ぼうがなんと呼ぼうが生きて行くという「関係性」の中では少しもぶれないし、揺らぎもしない。命の実相。そこでは独りよがりも独善もなく、争う理由もなく、食い違う事もない普遍性を納得するしかないだろう。このような「一」であることに真向かい、受け入れ、関係性を再構築する。そこでは「私」というネックになるものは必要とされない。価値判断、行動規範がいつもそちらを向いている生き方。それが仏道に於ける「正しさ」ではなかろうかと認識している次第である。




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コメント(3件)

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おはようございます

「一」と「私」ということ。

今、ここにかくのごとくであるもの。

独りよがりも独善もなく、争う理由もなく、食い違う事もない普遍性を納得…

なかなか、「私」がいつも頑張ってしまって、
すべてに顔を出している気がします。

ありがとうございました。
kingyo
2012/05/12 08:42
卯月雲残るは命ばかりかな  よし
yoshiyoshi
2012/05/13 07:20
kingyo様。
自己を求むるは生きるものの定まれる習い、と道元さまもお示し下さっています。頑張っても、頑張らなくても、なんともない「私・自己」にであいたいものですね。

yoshiyoshi様。
小水の魚の如し。その認識も又「正見」でしょうね。
市堀
2012/05/14 21:23

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