再生への旅

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zoom RSS 洞谷山永光寺の風光

<<   作成日時 : 2012/05/24 04:09   >>

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仏法僧谺す山の深さあり 玉宗

先日、現職研修会で上山した羽咋の永光寺は宗門にとって極めて由緒ある寺院である。このことは宗門寺院は言うまでもなく、今では全国の宗門一般檀信徒でも承知のことであろうと思う。永平寺開山高祖道元禅師より三代目加賀大乗寺開山徹通義介禅師のお弟子である太祖瑩山紹瑾禅師開創のお寺である。太祖様開創といえば能登の大本山總持寺が知れ渡っているが、歴史的には永光寺の方が早いのである。總持寺が本山として注目されるようになったについてはその後の峨山禅師を始めとする御弟子たちの働きが大であるのだが、越前加賀能登の北陸の地に曹洞宗の宗旨の淵源が今も脈々と流れ、その威容が聳えたっている。心ある宗門人には感慨深い聖地の一つであることだと思う。

自坊が能登半島地震に被災後、各地を勧進托鉢して回った。羽咋市内を歩く折に一日では廻り切れないため、永光寺に宿を借りた経緯がある。現在、監寺職にある屋敷智乗老師とは大乗寺雲水時代からの知己でもあり、快く使わせて戴いた。老師は横浜の大本山総持寺で直歳職と云う山内外の管理を管掌する任に就いていたこともある道心家。
永光寺での現職に就かれて以来、住持の信頼の下で、不惜身命、身を粉にして率先し、境内内外の清掃、整備、管理に明け暮れているのである。専門僧堂の看板を掲げていない永光寺が現在のように清掃が行き届いたことが近年あっただろうか。老師の弄精魂が一木一草一石に宿り、輝いている。見える者には見え、聞こえる者には聞こえるであろう。そのご開山への孝順心は平常心であるがゆえに、慎ましく、何気なく、そして、あたたかい。老師のご精進が北陸の山奥に宗旨を立っした祖師方への回向の一灯であることを疑わない。


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 加賀大乗寺法堂


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 能登總持寺山門



能登洞谷山永光寺スライドhttp://www.youtube.com/watch?v=cuNIy7Abm_Y


洞谷山永光寺【定義】

瑩山禅師によって開かれた石川県羽咋市酒井町にある日本曹洞宗の寺院。山号は洞谷山。開基は海野三郎滋野信直夫妻(妙浄禅師・祖忍尼)、酒匂頼基・藤原家方。

【歴史】
現在では、瑩山禅師開山の遺跡的寺院として、大本山に總持寺が選ばれているが、歴史的には、瑩山禅師が道元禅師に於ける永平寺のように、自らの理想としたのは永光寺であったと見られている。

正和2年(1313)に海野三郎滋野信直夫妻、酒匂頼基・藤原家方の外護により建立された同寺は、瑩山禅師を開山として仰ぎ、文保2年(1318)には、信直の妻である祖忍尼から寺領が寄進されている。この開山の様子は『洞谷記』に詳しく示されるところである。後醍醐天皇・後村上天皇・後土御門天皇からも寄進、或いは綸旨を受けて寺格を上げ、また輪住制を布いて日本曹洞宗の地方発展に貢献している。

瑩山禅師は、山内に如浄禅師・道元禅師・懐弉禅師・義介禅師、そして自らの嗣書や舎利、遺品などを埋葬して開山堂とし「五老峰伝灯院」と命名した。そして、瑩山禅師はこの五老峰を守るべきであると遺嘱している。元弘3年(1333)には、護良親王の祈願所となり、暦応2年(1339)には利生塔が建てられた。

現在でも景勝に恵まれた同寺の境内は、瑩山禅師の様々な文書や、曹洞宗に関する写本が収められているなど、その当時の偉容を伝えている。『つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉』より





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
余りたる時間は多し通し鴨  よし

渡りをしないカルガモも
やはり、通し鴨と云うのかなぁ ?。
yoshiyoshi
2012/05/24 04:24
yoshiyoshi様。
棲みついちゃった訳ですね。余生なのでしょうか?
市堀
2012/05/28 20:17

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