再生への旅

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<<   作成日時 : 2012/05/05 03:49   >>

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空に生れ空に消えゆく五月の声 玉宗

今でも忘れられないお葬式でのひとコマがある。

当時七十歳を迎えた喪主の男性には足の不自由な精神障害を持った二つちがいの弟がいた。小さいころから養護施設に入ることもなく、実家を継いで商売をしている兄とともに暮らしていた。
五十歳を過ぎても、弟はお寺の縁の下が好きでよく遊んでいた。ある時、小火騒ぎを起こした。兄はお寺へ駆け付け土下座をして謝った。
又、弟は賽銭を盗むことを覚え、何度もお寺の住職に見つかっては諭されていた。しまいにはお坊さんの姿を察知すると不自由な足を引き摺っては逃げるようにさえなっていた。兄はその度にお寺へ詫びを入れに足を運んだ。そんなことがあっても兄は弟と一緒に商売を繁盛させながら一緒に暮らしていたのである。

そんな弟が亡くなった。喪主となり弟の葬儀をした兄は挨拶で次の様なことを述べた。

「弟は生まれながらに障害を背負って生きてきました。町の皆さんにはご迷惑ばかりかけて申し訳なく思っています。然し、私にとってはかけがえのない弟なのです。弟が我が家の悪縁をすべて引き受けてくれていたのです。お陰さまで商売も順調に繁盛させて戴けるのも弟が私どもの不幸を全部背負ってくれたからです。私はそう思っています。そんな弟をどうして手放すことが出来るでしょうか。一緒に暮らしていることで私も救われていたのです。」

彼もまた弟の亡きがらが横たわる棺を前にして嗚咽していた。

遺族たちは棺を覗きこんで死者に語りかけ、泣き、嘆いて最後の別れをする。そのような生々しい現場を目の当たりにしていると、葬儀と云う形態は時代と共に変化しても、人の死を悼む心というものは原始から変らないものであり続けるだろうと思った。わがことのように人の死を悼む。なぜだろう?本能的とさえ思われるこの反応は。命はどこかで繋がっているのではないかと思わずにはいられない。

この世に生まれて来るべきではなかった、といった悔恨は私にも時々起こる。然し、この傲慢さは直ぐに受け入れられないことに気づく。
生まれて来たことは私の都合ではない。みな神仏の思し召しである。責任を云々するなら神仏こそ私の生死の責任をとるべきである。私は私になるために産み落とされた。この如何ともしがたい事実の尊さは比較を越えている。社会的に間に合うか合わないかだけが命の尊さではない。私が私の存在を否定しようとする愚痴や悔恨や絶望は、ちょっとした命自らの戯れ、自己中毒のようなものであろう。或いは神仏と一体であるからこその我儘のようなもの。

この世の様子とは、そんな神仏の思し召しであるわが命の、これっきりの様子である。命という広やかにして汚れなき無私なるもの。命という掛け替えのなく、執着を離れ、清浄にして無常なるもの。そのようなこれっきりの命、命これっきりを美しいと感じ、人生の宝とし、一大事としたい。そんな人間でいたいものではある。








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コメント(5件)

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やっちまったよぉ〜、昨日の変換ミスには笑ってしまった。選んだときには確かだったのになぁ。

俺だけかバンガローが頑張ろうに聞こえるは  よし
yoshiyoshi
2012/05/05 07:46
喪主となられたお兄様の
弟さんを想うお言葉に涙がとまりませんでした。本当に良いお話でした。

「私は私に成るために産み落とされた」・・肝に命じて生きて居たいです。

何時も、読ませて頂いています。
有り難うございます。
たか子
2012/05/05 09:32
この世に生れしことを喜び精一杯の生き様を示して行こうじゃないかと
思っておりますところ、果たしてどのようになっていくのでしょうね。
実際のところ…。
たんと
2012/05/05 17:00
こんばんは。
その人の生き様は最後の葬式で判るのじゃないかと思っています。
きっとこの亡くなられた弟さんも幸せだったと思います。
お兄様も弟さんも幸せだったに違いありません。
命を一生懸命生きるのが 与えられた運命なんでしょうね。
ルフレママ
2012/05/05 22:02
yoshiyoshi様。
パソコンもあなた任せの最たるものではありますね。

たか子様。
コメント有難うございます。
結局、家族が基本かと。一人で死んでいくお互いですが、最後までついてきてくれるのはなんと言っても肉親、であってほしいですね。お大事に。合掌

たんと様。
人は自己の世界と共に生れ、自己の世界と共に生き、自己の世界と共に死んでいくと言われます。余所見をしてもどうもなりませんね。精進の中に自ずから見えて来るものがあろうかと・・・

ルフレママ様。
命を一生懸命生きるのが 与えられた運命なんでしょうね。>それに尽きますね。お大事に。
市堀
2012/05/06 18:42

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