再生への旅

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zoom RSS 自己が清浄になる、それ以外の何を仏道に求めるのでしょうか?!

<<   作成日時 : 2012/06/10 04:13   >>

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不如帰空に溺れてゐるらしき 玉宗

昨日の永福寺での俳句教室には二人の受講生が出席した。人数がある程度揃った段階で句会へシフトしていく予定である。当分は個人指導ということで。
午後からの坐禅会には一人の居士が参加した。初心者ではあったが以前から志があったようで2拄の坐禅にもしっかり対応していた。終わって茶話のついでに宗門の坐禅について解説。その他に、朝の坐禅に参加させてくれという方と今朝は一緒に坐禅をした。

俳句教室も坐禅会も先ずは第一歩を踏み出した訳であるが、さて、この先どうなりますことやら。先ずは道に分け入る草刈りをしているといったところか。この歳になって、遅きに失している感が否めないが、この歳になってその気になったのだからどうしようもない。震災前は僧堂に出仕していたこともあり、自坊で参禅者を指導しようといった考えがなかった。今では再建もなり、後継者も仏道を歩み始めている。手を拱いている訳にはいかないといった思いが自然と湧いて来たのだ。

力量不足、そんなことを言い出したら身も蓋もない。やろうという意欲があるのは神仏の自ずからなる思し召しであろうと自惚れている。この辺が転んでも只では起きない人間の真骨頂であろうか。そうは言っても、これも人生の試練であるには相違なかろう。私は、神様は越えることのできない試練を与えないといった言葉を鵜呑みにしている。やるだけやってみるさ。最後は「死を受け入れる」という試練が待ち構えている。人生とは最後の試練を逍遥と受け入れ、乗り越えるための学びの道程にも思えて来る。やり残したと後悔に苛まれるより、やったことで何がしかの学びがあるだろうと高をくくっている。

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で、その学びとは仏道にとって如何なる様子のことを指すのか。まさか人生や社会の駆け引きを学ぶことではあるまい。

呑気に日常を過ごしてはいるが「今の実相」は一寸先は闇という諸行無常の端的である。そうでありつつも尚、不足も余剰もない「今という奇蹟」を生き生かされている。何かを当てにしたり、或いは何かに追い込まれるという幻想に揺れる、それを愚かさと言いたい。それを命を汚すと言いたい。それを命を弄ると言いたい。命はいつも清浄なるものであるという信念のようなものが私のどこかにある。命は、だれもが、いつでも、比べようもなく精一杯の声を挙げているという谺のようなものが私の中に響く。手垢や滞るものがない命の清浄さ。仏道はそこを学び日々更新していくのではなかろうか。

自己が自己に深まり、澄んで行く。そのように自己に決着がついているのを成仏とは云い、そのような次第の自己が作る世界を彼岸とも浄土とも荘厳ともいう。命の価値を云々するのに社会的相対的側面だけではない、もう一つの命の絶対的側面からの意義付けがあってしかるべきである。自性清浄心。自己の命に親しく、深まり、澄んで行く。どっちへどう転んでも自己切りの清浄なる命。それ故にこそ無位の真人と指摘される所以であろう。みなそのような独尊の命を戴き生きている。それでいいではないか。それ以外の何を命に求めようとするのだろう、人間は。








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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
百合の花生きる姿勢の羨まし  よし
yoshiyoshi
2012/06/10 06:09
『----もう一つの命の絶対的側面からの意義付けがあってしかるべきである。』
 朝からお寺で講話を伺っているような気持ちです。
 あの人は偉いとか、此の人はダメだとか、自分好みで選択している愚かさを思いました。
人間として生まれてきた絶対性はあると思うのですが、皇室に生まれたり、未婚の母から生まれたり、眼も口も耳も障がいを持ち生まれたり、何れも比較したり羨んだりが見られます。
いずれも差別しない人間への賛歌、その価値観を揺るぎなく生きられたらいいのですが、日常は様々な思惑に乱されています。
 朝は朝の目覚めから始まる、新たかで清らかな命なのだと実感できましたら、どんな過去も引きずることなく、清々しく澄んで行けますでしょうか。
 簡単に会得できる心情とは思いませんが、なにか心が明るみました。
ありがとうございました。
みどり
2012/06/10 10:09
『神様は乗り越えられない試練は与えない』
この言葉は10年ほど前、苦難に陥っているとき、この言葉を書いたマグカップをくれた友達がいました。この言葉に励まされ、どうにか逃げ出さずにすみました。
正直、今、仕事でトラブルが起き、全責任を押し付けられ(言葉は悪いですが…)、途方にくれています。改めてこの言葉を聞き、もうひと踏ん張りしてみようと思います。
しぃ
2012/06/10 21:18
yoshiyoshi様。
凛として生きる。いいですね。

みどり様。
上智下愚を論ぜず、利人鈍者を選ばず。いのちみな仏。私のいたって単純な人間透察です。
社会では役二立たないことが多いようですが。
(^^」

しい様。
御察し申し上げます。
重責を担っておられんですね。一人で頑張りすぎないでくださいね。無理をしないこと。それもまた自己の真相でもあろうかと。
合掌
市堀
2012/06/11 15:34

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