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zoom RSS 梅雨の寺 「自己に対峙する」

<<   作成日時 : 2012/06/20 04:08   >>

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墨染の袖長々と梅雨さ中 玉宗


大本山總持寺祖院の鐘鼓楼(鐘撞き堂)である。「常説法」の扁額が掛っている。

夏の制中は毎朝四時過ぎに暁鐘が、昼11時は日中鐘、夕方には昏鐘、夜九時には開枕鐘が鳴り響く。雲水さん達が順番に鐘司となる。今どきは鐘の音も墨染の衣も梅雨湿りして重たいことであろう。
雲水になって初めて梵鐘を撞かせてもらったときの感慨を未だに覚えている。衣を着る度、鐘を撞く度にお坊さんになった事の意味を自己に問いただしていることが多かった。

衣の重さに心致すのも、鐘の音の重さに思い致す事も、共に修行の威儀を正すことに他ならない。孝宗もこの楼に登り、威儀を正して鐘を撞いていることであろう。百八聲の鐘を撞くのにはそれなりの意味がある。自己の声なき声を聞く、それは自己の煩悩に対峙することに他ならない。そのような自己の修行が鐘の音を聞いている人様の役に立つという事実がある。鐘撞き一つが疎かならない所以である。

そんな弟子の撞いた鐘の音を朝晩に聞くことができる幸いを思う。

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山内寺院である芳春院の前に通り掛ると掲示板が目についた。次のような言葉が書かれていた。

「よく自分に聞いて下さい。
一度きりの人生を
どのように生きてゆくかを」


大本山總持寺祖院専門僧堂の夏安居制中も後一ヶ月足らずとなった。今月末には三日間の夏季接心が控えている。倅の孝宗には初めての接心。心ゆくまで坐らせてあげたいところだが、新到さんではそうもいくまい。今までも、今も、これからも自問自答、自己と対峙する日々が続く。お坊さんになったということはそういう道を選んだということだ。世間から逃げることはできても自己からは逃げることも先回りすることもできない。そのような一大事も次第にあからさまになってくることであろう。一人前のお坊さんになれるかどうか。これからが試される本番であるとも言える。

来月中旬には梅雨も上がり、能登も盛夏に突入する。梅雨の潤い、法の潤いの中で、仏道を聞きわけ、嗅ぎ分け、見分ける身心を養ってほしい。




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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
フローレンスからボナセーラ
今日もまたコメントよろしいでしょうか?
自分にちゃんと聞いてるんですヨ。だけど気がつくと迷い道クネクネなんです。なんでだろう?
Florentia55
2012/06/20 06:16
夜更けには心許無き風の音   よし
yoshiyoshi
2012/06/20 07:11
おはようございます
 一度きりの人生、病気のためなぜか二度経験できるようです。
湘次
2012/06/20 08:25
Florentia55樣。曲がりまっすぐということもあります。自分の中の声なき声、まあ神の声でしょうか。

yoshiyoshi樣。
夜風には余り耳を傾けない方が・・・早寝に越したことはありませんぞ。(笑)

湘次様。
お加減如何ですか?
じっくり生きられていますか?お大事に。合掌
市堀
2012/06/21 20:07

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