再生への旅

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zoom RSS 蜘蛛の糸

<<   作成日時 : 2012/06/26 04:08   >>

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奈落より目覚めてみれば蜘蛛の糸 玉宗

五十六年の人生で何度も苦い思いをしたことがある。
自業自得なのであるが、どうして私がこんな目に遭わなければならないのか、と正直なところ天を恨んだこともあった。といっても、それは能登半島地震に被災したことではない。人事的災いのことである。天災は、意外とそのどうしようもなさで間もなく受け入れる事ができたのだが、人災は中々冷静に受け入れるには時間がかかった。聖人君子ならぬ小人の証左である。

失敗や不遇の原因をどこをどう探っても見分けられないのだが、私の意識に上らない所で悪縁の種まきをしていたのには違いないのだ。私の様な愚か者は、知恵もないままに作為を弄して墓穴を掘るという見本のようなことがままにある。自業自得たる所以である。余計な事をしたがる我が身の卑しさに業を煮やしたこともある。

君子は危うきに近寄らず、ではなく、危うさの種を撒かないのが君子なのだろう。
失敗を繰り返しては臥薪嘗胆の日を送り、捲土重来を期す。それは如何にも仏弟子にあるまじき物騒な境涯に聞こえるだろうが、この年になって様々な人間模様や人生劇場の真実を衝いた言葉であることも又頷けるのである。蜘蛛の糸を辿るような、自己を顧みる能力が試されている。

綺麗事ばかりの現実ではない、などと分別めいたことを言いたくはないのだが、世の中には思いもよらないことがままにあることも事実である。清濁併せ呑む器の大きさが欲しいものだ。というより清濁併せ呑まなければ生きて来れなかったと云った方が実際に近いし、私自身の中に清濁がある。

そのような存在が悔恨や失敗の原因を自己以外に求める事はお角違いなことに思える。すべて私が蒔いた種であり、刈らねばならない実なのである。
私が私をコントロールすることの難しさ。自己を受け入れることは困難な事ではあるが、そうであるからこそ再生が可能になるのであろう。良薬は確かに口に苦いのである。有為の奥山を越えて浅き夢に酔うこともなくなった。









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コメント(2件)

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男衆らは朝から酒の雨祝  よし
yoshiyoshi
2012/06/26 04:28
yoshiyoshi樣。
いかにも、楽しげですね。(^^)
市堀
2012/06/27 19:26

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