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zoom RSS 震災句集・小原啄葉『黒い浪』

<<   作成日時 : 2012/06/05 03:43   >>

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心労が夏の渚に来て帰る 玉宗

岩手県盛岡市在住で俳句結社「樹氷」主宰・小原啄葉氏の『黒い浪』が角川書店から刊行された。大正十年生れでいらっしゃる氏は、私が角川賞受賞した頃から句集を上梓される度に贈って下さる。面識もない俳壇の大御所からの好意に忝い思いが消えない。今回の東日本大震災の被災者でもある。高齢になられてから巡り合った大震災に、この俳人はどのように向き合ったのだろうか。

『黒い浪』の帯文を紹介する。

「東日本大震災は実に怖かった。聞いたことのない異様な音の地鳴り、どす黒い津波の襲来によって、地上の形あるものは一瞬に消え失せた。終熄の見えない原発事故の被害に、無辜の民は限りなく脅えている。災害の俳句はもとより難しい。言葉の力にも限りがある。しかし、あの恐怖、あの惨状を少しでも伝えおくため、あえて一書をまとめることとした。小原啄葉」

自選十二句

地鳴り海鳴り春の黒浪猛り来る
帰る雁死体は陸へ戻りたく
時の日の時計をはづす遺体かな
蟇穴を出て風評の村なりき
孑孒に会ひたるのみの帰宅かな
汝知るや蟇のつぶやく半減期
帰省子に紙の仕切りのわが家かな
ほんとの空もうありません年果つる
みちのくに日本あつまると年の暮
軸ぶれし地球なれども初日の出
独楽打ちし地べたを残し村亡ぶ
移り住む高所おのづと山桜


所謂「震災俳句」のあり方について「俳壇」では一頻り論議や問題提起された次第のようだが、俳句には「時代を記録する」といった切り口もあろう。その「時代」とは作者の眼差し、感性を抜きにしては語れも、表現も、批評もできない代物であるが、作者がどれほど「震災」という「対象」に向き合っているか、その真摯な姿勢、態度が如実になるのも定型詩の公認の謎でもある。

ここには現代俳句の潮流の一つである「わたしへの拘り・偏り」といったものがない。最短定型詩の歴史には「己を虚しくしたものの眼差し」といった日本独自の詩人の流れがあるのではないか。それは「己れ」を語ることではなかったもうひとつの自己表現の世界としての俳句。

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切り口を換えて言えば、現代俳句が自己に拘ることに汲々とし、苛立つのはなぜか?
大衆文芸として括られてはいるが、俳句だとて定型詩の詩的世界へアンテナを向けているものだけが共感し共鳴するだろうし、それでいいのである。そして詩的世界への入口は人様々である。こうでなければならない、といったことはおこがましいと言わざるを得ない。現在、俳壇がいくつかの流派や協会や主義主張や嗜好に別れているのも、不思議な事でもない。

被災者を支え、励ます「震災俳句」という言挙げも、俳句を愛する我々自称俳人全てがわがこととして震災を受け止めようといったところに帰着しなければならない。そこを抜きにして「震災俳句論議」をしても畢竟、益のない戯論に終わってしまうのではないかと思っている。俳人が上等なのではない。俳人が神様に近いのでもない。共に寄る辺のない人生を生きている明日知れぬ浮き草ではないか。その自覚のないところに大衆文芸を語る資格があろうとも思えないでいる。

『黒い浪』には震災被害の当事者でもあり、俳人というもう一つの目を持たねばならない表現者の真にして控え目な姿勢が貫かれている。氏は俳句を愛している。そして俳句を解しない者は違う領域で震災と向き合い、震災を乗り越え、震災と和解していくことであろうことを信じているに違いない。そんなことを思った。ご加餐を祈る。合掌



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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
灸花時代遅れの良か男  よし
yoshiyoshi
2012/06/05 06:54
yoshiyoshi樣。
そうなんですよね。私も時代遅れの部類に入っていることを痛感しはじめている次第です。
市堀
2012/06/06 16:29
 飾らず気取らず、やはりご本人が被災した方だという偽りの無さが心に響いてきます。
傍観者の私は、其処に立つことが出来ませんでしたが、生死を分かつ体験から生まれる詞は重いと思いました。
 ただ遠くから、大変だった皆さまの一年余の暮らしが、今も続いていることを想像し、早く落ち着いた日々が戻ることを念じております。
 昨日7日、福島の女性たちが国会の前で、マイクを握り、様々に訴えたのですが、子どもへの心配や原発への憤りなど、どの発言も無駄がなく高齢者や障害者の、心から絞り出すような言葉に狼狽えました。
凄いといいますか、かけがえのない命の発露に圧倒され、自分の曖昧さを打たれた気がしたのです。
 此方でも、一生懸命生きなければと教えられました。
みどり
2012/06/08 12:16
みどり様。
必死さとか精一杯といった前には叶わないものがあります。表現とは畢竟一歩引いている眼差しであるには違いありません。そのような視点もまた必要かと。合掌
市堀
2012/06/09 09:26

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