再生への旅

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zoom RSS 教育の現場を体験して・・・

<<   作成日時 : 2012/07/10 04:04   >>

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夏野菜どれも瑞々しき未完 玉宗


中学校での道徳の時間「食育・いのちを戴く」の授業に行ってきた。
「ああ、しんどい。 教育の現場ってお腹が空くなあ。」
お寺に戻って湧いて来た偽りのない感想である。

相手は中学一年生38名。みればどこかで見たことのある子供が数人いる。休憩時間ということもあり、中には親しげに握手を求めたり、坊主頭を撫でに来る子もいた。担任の他、校長始め十人程の先生方が廊下に溢れてまで観戦、否、同席していた。又、地元のケーブルテレビが撮影取材で入っていた。

六時限目は道徳。担任が「食育」のテーマに添った生徒への事前のアンケートの紹介も間に挟めて授業を進めて行った。
「いのちを戴くこと」について私が話す事になった。持ち時間10分の予定が、終わってみれば案の定倍以上は話していたらしい。それも次第にボルテージが上がり、用意されていた手持ちマイクも捨て置かれて顧みることもなかった。

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その一端を実況すれば・・・

「お坊さんが教室にいることが不思議でならないといった顔をしていますね。実はお坊さんってのは、「いのち大事に生きている存在」なのです。だから「いのち」について話します。分かっても分からなくても、まあ聞いてください。五十六年生きてきた私という人間の経験知からのお話です。

(コップを手にとって)こは何ですか?これそのものは一体何でしょうか?これそのものには名前も意味もありません。ただここにこうしてあるだけです。さっき私はのどが渇いたので先生に水を下さいとお願いしました。そうしたら水を満たしたコップが私の手元に届けられ、私はのどを潤すことができました。つまり、私の意欲、関わりがあって初めて「コップ」という「そのもの」は「意味」をもったわけですね。

もう一つ皆さんに聞きたいことがあります。人間は生きるために食べるのだろうか?食べるために生きるのだろうか?といった疑問を持ち、友達と議論したことはありませんか。これは実は意地悪な問題なんです。これに応えるためには、生きる意味が解決されていなくてはならないのです。言い換えれば、食べることに意味が生まれるためには私がどう生きていくのかという姿勢が問われ、試されているということです。結論を言ってしまいましたね。

先ず、「いのちの真相」というか「いのちの様子」をいくつか点検してみましょう。
いのちは限りのあるものです。これはわかりますね。あなたちの周りにいる家族や社会の人たちを見ていてそれは分かっているでしょう?人はみないつか死ぬのです。命あるものはそれが宿命なのです。人間だけではありません。他の動物も植物も星もやまも海も、みな「いのちあるもの」という事実があります。あなたたちもいずれは死ぬのですよ。

次にいのちは様々な関係の中でなりたっているものだということ。そうでありながら尚且つ、比べることができませんね。そして誰も私に代わって生きてはくれませんね。私のいのちがわたしであってなんともない、それだけで尊いと言っているのです。
あなたたちは今も、そして将来はもっと比較される社会という関係の中で生きていかねばなりません。それは人間としての宿命と言ってもいいでしょう。私はそれが駄目だとか悪いと言っているのではありません。
いのちとはそれほど豊かな、深い尊うさを持っているということを言っているのです。」

以下、プリントに添って持論を捲し立てた。

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用意したプリントとはこれである。

「いのちという大事なものを生きている私」   

1、「いのち」に意味はあるのか?

・私は何のために生まれ、生きて、死んでいくのか?
・「意味付け」を超越して「生きている事実」
・「いのち」を「どういただくか?」「感謝」は自ずから湧いてくる

2、「いのちの真相」

・限りがある・ 変化している・可能性の中で生きている 
・関わり合っている・ 比べられない・代れない      
・欲張ってもしょうがない・思い通りにならない    
・なにがあってもなんともない・今を生き切る       

3、「いのちを大事に生きる生き方」

・いのちの真相に反したことをしない  
・いのちあるがままをひたすら生きる  
・自分の心と体をきれいにする     
・本当の大人になって人生を生き切る 

4、「いのち戴く意味」「生きる意味」

・私がどのような姿勢で生きていくのかが問われ、試されている。それが人生。 
・生きている意味は自分が作り出し、見つけ出し、目指して行くべきもの。
・いのちを頂き、そして、いのちを施して生きていく、それが本当の大人。


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最後の方は子供たちというより、観戦されていた先生やケーブルテレビのスタッフたち、大人へ物申しているような有様になった。子供の反応は推して知るべし。

「いのちいきていくということはいのち戴くだけではなく、私のいのちを施し、与えるということでなければなりません。事実としては、今この時も私のいのちは頂きながら与えているのです。生とはそういうものなのです。そして人生の最後は死という施しをするのです。
いのち大事に生きるとは今まで述べてきたように極めて単純な理屈です。単純ですが、それをまっすぐ実践できない大人たちが結構いるのです。でも、本当の大人になるということはそういうことなのです。」

話終わると担任がまとめに入った。
「いのち戴いて生きている私達。その掛け替えのないいのちに恥じないように生きて行きたいですね。」
ん〜、ちょっと違いうけど、まあいいか。手持ち時間を大幅に超えてしまい、スケジュールがくるったかもしれないが、当の私は熱くなり過ぎたせいかのどの乾きも忘れ目眩がしそうだった。
んなこんなで校長室で挨拶をして学校を後にした。

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お寺に帰り空腹感を覚えたのは本当だが、つらつら思うに何であんなに熱くなったんだろうと我ながら不思議な気分になった。まあ、大人相手の説教の折も似たようなものではあるが。教育ってなんだろうと改めて考えさせられる機会ではあった。

実は拙ブログでもリンクさせて戴いている「季節風」の教育者・加藤宙氏より以下のような励ましを戴いていた。なるほど、教育とは時間の中で成し遂げられるものなのだなあと痛感したことである。せっかちで、熱し易く冷めやすい私には教師は不向きでああろう。第一、お腹が空いてどうもならん。

「教育とは「問い」と「答え」の間を最長距離で結ぶ営為だと信じています。すぐにわかるようなことを教えても仕方ありません。後で「このことだったのか」と思えるような「種」を蒔けばいいのだと思います。子どもの中にポンと「種」を置いてきて下さい。オープンエンドという終わり方もあるのです。 」













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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
怪談話人の一番恐ろしき  よし
yoshiyoshi
2012/07/10 08:19
難しいお話です。子供どころか大人にもよく分からないのが本当です。学校の問題はよく分からないことを先生がよく分かっいるかのような態度で子供に教えることでしょう。子供はそれをよく見抜きます。私は思春期に抱いた問題を、頭も悪く感性も鈍いせいもあり、70過ぎの今に到るまで引きずりもがいています。よく分かったという子供がいるとすれば、それこそ危ない危ない。

雨を呼び雨に応える雨蛙
俳句歴半年のどうも理屈っぽい俳句です。
くら
2012/07/10 13:12
子どもたちの嗅覚は鋭敏です。この人は、私のことを思い、話してくれているのかそうでないのかを鋭くかぎ分けます。「お腹の空く」ほど熱く語りかけた言葉は伝わります。もし多くの言葉を忘れたとしても、今日教室にあった、ご住職の立ち居振る舞いも含めた「雰囲気」は「命」という言葉と共に思いだすことでしょう。今日の夕食時、子どもが親に話すかもしれない。「今日お坊さんが来てね…。」綿密に計算つくされたベテラン教師の授業が必ずしも子どもに受け入れられるわけではありません。教育実習生の「拙い」ながらも、伝えたいという熱い思いのほうが受け入れられることもあるのです。強く伝えたいという「思い」が伝わるのです。「命」が20分で分かるわけがない。しかし、「命」の種は確かに蒔かれたと思います。同じ場で、授業を受けたかったです。

2012/07/10 14:46
フローレンスよりボンジョルノ
お話もさることながら野菜の美味しそうな事其れに見とれてしまいました!失礼をば。気になったことがひとつ。”わかってもわからなくても。。。”この言葉不要では?お坊様からの言葉らしからぬような印象を受けました。聞こうと思う心を折るような。応援しますよっていうポジティブな言葉が良いと思いました。では ポチッ。
Florentia55
2012/07/10 16:16
yoshiyoshi樣。
そういうことですね。怪談話の様なことに終わってしまいました。鋭い!

くら様。
その場で解って終わるより、問題意識を持ち続けてほしいといった気持にもなったことでした。理解するとは「終り」ではなく次の「始まり」ですよね。

宙樣。
いい経験をさせていただきました。
いつになく子供を前に緊張したことでした。柔らかな感性の彼等に心の傷になるようなことを話してしまわないだろうかと心配になったりしていました。
まあ、結構、興味津津と言った眼差しで子どもたちは聞いていてくれました。私の贔屓目かもしれませんが。教育の現場もたしかに「生もの」でした。
教える方も新鮮でなければなりませんね。また今後ともよろしくご指導ください。合掌

Florentia55樣。
ご指摘ありがとうございます。そうですね。云わずもがなの一言でした。気をつけます。写真の野菜はお寺で収穫したものです。狸か狢が夜な夜なやって来て被害に遭っています。彼らの為に畑をしているような状態で、おこぼれを私が戴いていると云った図に見えなくもありません。(^^)
市堀
2012/07/10 17:46
お坊さんがお経を唱えるのでなく、ふつうの言葉で話したということ自体、子供たちには新鮮だったろうと思います。時間は30分は欲しかったですね。食育で「いのち」を考えるのは、いいテーマです。ぜひ再演、恒例化で学校の名物にしたいものです。
志村建世
2012/07/10 22:40
 本当にいいお話が聞けました。
 私も自分の想像力はもう限界と見限らずに、「今ここにこうして居る」という真相を、見つめなおし、心を耕して、感性を磨いていけたらと思わずにはいられません。
 根気強く精進いたします。

 
深山あかね
2012/07/11 00:06
志村建世 樣。
そう言って下さるのは志村さんなればこそ。件の先生方がどんな反応をされるのかと思わないでもありあません。えへへへ。:^^)

深山あかね樣。
あきらめた所で人生の意義付けは終わってしまうのでしょうね。一歩一歩というのも人生の真相ですね。合掌

市堀
2012/07/13 14:15

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