再生への旅

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zoom RSS やっちまったよ・その49 「宗派以前のいのち」

<<   作成日時 : 2012/07/13 04:14   >>

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去りがての雨脚見ゆる夏海原 玉宗


北陸は真宗王国と呼ばれている。福井に大本山永平寺、能登に大本山總持寺祖院ありと雖も多勢に無勢といった感がないでもない。因みに私は「曹洞宗」に属している。輪島の永福寺には檀家少ないので参拝者は真宗門徒が圧倒的に多い。「なんまんだ、なんまんだ」と念仏申しながら曹洞宗のわが寺の御本尊に手を合わせてくれる。実はご本尊はルシャナブツ、脇侍に地蔵菩薩と如意輪観音なのである。ことあるごとに法話で諭してはきたのだが、未だに「なんまんだぶ、なんまんだぶ」。一向に改まる気配がない。

「ばあちゃん、違うってば!曹洞宗はナムシャカムヌブツ、いや、ナムシャカムニボツ、いや、ナメシャキャムニュブツ・・・ああ、もういいよ。なんでも。」

「なんでもってわけにはいかんべよ。やっぱ、なんまんだじゃろうがえ?」

「はいはい、そうやね。」

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ところで真宗のお坊さんと葬儀などでしばしば顔を合わせる機会がある。旧輪島市内には禅宗寺院が四ヶ寺なのに対して真宗は20ヶ寺ほどもあるのでないか。以前、その真宗のお坊さんと一触即発になったことがある。私も若かった。

「おたくら曹洞宗は自力宗だったね。」

「えっ?自力宗ってありましたっけね。」

「自分が悟らなければならんちゅうことなんやろ?御苦労さんなこっちゃね。」

「御苦労さんって言われても・・・」

「わしらはぜ〜んぶ阿弥陀さんにお任せや。楽なもんや。」

「坐禅も楽なもんですよ。」

「苦行なんじゃなかったかね?」

「苦行といったら念仏も苦行でしょう。」

「わしらは易行、他力っていってね、あんたらのように自力だなんだかんだって自惚れちゃいないんだよ。」

「己惚れ?! って、だれがうぬぼれているんですか。自力他力っていうけど、あんたの念仏は誰の口を借りて唱えているんだい!(ため口になっている)」

「わしの口に決まっちょるわいね。」

「その口から憎まれぐちも出れば、有難い念仏も出て来るんとちゃうんかい!」

断っておくがこれは極めて低次元の痴話げんかみたいなものである。真宗の教義を云々したりするつもりは毛頭ないし、真宗教義の真相を把握しているわけでもない。況や宗派の優劣と言ったことでもない。只、この時のご寺院さんの様に「自力他力」の二見でしか命の真相を捉えようとしないことが歯痒かったのである。

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息を吸ったり吐いたりしている今の事実がある。
抓れば痛かったり、喜怒哀楽したりしなかったり、人と代わることが絶対できない五体、生も死も自分持ちであるところの「今、ここの、事実」を仮に名づけて「私」とか「悟」とか「迷」とか言ったりしている。
そんな「私」のいのちの実相に宗派はない。もっと云えば自他とか凡聖とか迷悟という二見もない。理屈は後から付いたり先走るものだ。いのちの事実は只そうあるだけではないか。「他」もまたそうであろうというのが私の「信仰」である。ないものねだりではない。

御釈迦様の出家の契機は眼前に死んでゆく人間の無常から始まっている。常ならぬとは、いのちの真相である。それがそのまま救いなのだと受け取ることが容易にできないところから宗教は芽生えたのではなかったのか。
所謂、坐禅も念仏も、自力も他力も、尽力も脱力も、いのちがいのちを肯おうとするささやかな働きかけである。人間とはなぜかそのような手間のかかる存在なのである。煩悩の数だけ宗教への入口はあるというのは真実かもしれないが、それはわがいのちを戴くのは己を置いて余所にないということを云っている。宗派根性で担保されるという筋合いのものではなかろう。

未だに思い出しても冷汗もの「やっちまったよ」であるが、まあ、いずれにしても犬も喰わない宗派論争をしてはならない。なんまんだぶ。合掌 (−−)







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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
夕焼けて脚の痺れに立てもせず  よし
yoshiyoshi
2012/07/13 04:39
ケアホームに友人を見舞ったときの話です。そこに93歳になられるかつて托鉢をなさっていた和尚さんも入所しておられます。たまたま4,5人でお茶タイムとなりました。そこでS和尚さんの語ることには「あの頃は子どもも小さくて檀家もなく、経済的にこまっていてR寺さんに助けてもらったのっしゃ」と。R寺とはビジネス大好きの檀家を沢山抱えたわがお寺さんです。「いつのまにか真言宗から曹洞宗になってしまったのっしゃ」とのこと。あまりに現実的な話で大笑いしてしまいました。ましてや宗派なんて一般人にはあまりたいしたことではないのかもしれません。我が地方でも”お念仏”と称して曹洞宗式葬儀の後の払いの席で「なんまんだぶ」ととなえて大きな数珠を回すしきたりもあります。すっかり融合?してしまっていて垣根が取り払われているのですね。こだわりがあるのはその道の人だけなのかもしれません。
 でも、一応坐禅をするときは壁面を向くようにしていますよ。(笑い)
くろちゃん
2012/07/13 13:56
yoshiyoshi樣。
詰まらない説教でも聞いていましたか?(笑)

くろちゃん樣。
こだわりがあるのはその道の人だけなのかもしれません。>そうですね。多少の拘りも又、需要が会ってのことなのでしょうしね。
自分の煩悩に見合った救いをさがして入るのかもしれませんね、人間は。

市堀
2012/07/16 15:22

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