再生への旅

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zoom RSS 「仏道」という「いのちの現場」

<<   作成日時 : 2012/07/15 04:11   >>

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捩花の捻くれながら真つ直ぐな 玉宗

ここ数日来、「食育」から「いじめ」へと検討してみたが、「いのちの戴き方の問題」という視点で共通、連結していることに気付いた。子どもは大人を見ている。水晶のような純粋な目で。大人たちの「いのちの戴き方」や「いのちの施し方」をじっと見ているのだ。そして、彼等は大人の真似をする。真似をすることでしか自分達の「感謝や恨みの念や相念」を発信できないから。 子供は大人ほど分別や言葉が発達していないということは「原なま・原石」のままで生きているというこだろう。問題解決に大人が手本にならなければいけない理由もそこにある。

そういうことをつらつら思うに、「いのちの現場」である人生が、生涯学びであることに間違いはない。生を学び、死を学び、自己を学ぶ。他己を学ぶ。縁を学ぶ。いのちを学ぶ。諸行無常を学ぶ。生きるとはつまり、そういうことではないのか。生きて行くとはいのちを学びながらの道程なのだ。新鮮ないのちを戴き、施し、関わり合っている「いのちの現場」。いのちはいつも一期一会の「無一物」という反応態だ。いのちを蔑ろにするのも、いのちに執着するのも共に人生を錯る所以であろう。

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さて、「仏道」は「自己を習う」ことは今更云うまでもない。「自己を習うとは自己を忘るること。自己を忘るるというは自己他己の身心をして脱落せしめ、万法一如ならしむる底の生き方である。「自己」を「いのち」と言い換えてもよい。

ときに一如なるがゆえに主客転倒、交錯することがあるのも紛れもない「いのちの現場」である。であれば尚更のこと、「いじめの解決」「いじめの責任」といった展開もまた「分別ある大人」が手本を示してあげなくてはなるまい。「なまもの」である「いのち」をどう戴くか?「なまもの」である「いのち」をどう施すか?貪りを離れた全うな人間でなければ為し得るところではない。

永福寺の参禅会も当初は一人であったが、三人の同行者になった。どなたも初心者という汚れのない素地を持ち合わせているのが喜ばしい。先ずは、「参禅の方向性」といったことについて説明させて戴いている。数日来、考察してきた「いのちの戴き方、施し方」といった視点で参禅の意義を述べたことである。「仏道」という「いのちの処方」がある。それは立派な人類の文化ではなかろうかと思っている次第。「参禅者は国の宝である」と言って私は憚らない。







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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
生きてゐて汗に塗れて起きにけり  よし

快・不快も命あってのことなんだよなぁ。
yoshiyoshi
2012/07/15 06:05
座禅の姿が美しいです。
花てぼ
2012/07/15 07:22
 3人とも若い参禅者の方々ですね。私も夕べ行って参りました。隣町のお寺さんへ。参加者は、なんとonly one!でした。18時から21時までの3時間、たった一人のために坐禅2柱と提唱?を拝聴して参りました。とても、贅沢な時間でした。また伺うつもりです。ご住職は、板橋興宗さまから坐禅の指導を受けた、とおっしゃっていました。
 “求めよさらば与えられん”は今回はぴったりでした。一期一会と心して励みます。
 自分の事だけ書いてごめんなさい。
くろちゃん
2012/07/15 11:55
「なにもの」が「いのち」を戴く、「なにもの」が「なにもの」に「いのち」を施す。「なにもの」とは「いのち」。
くら
2012/07/15 15:22
フローレンスからボンジョルノ
凛とした背中、畳でいいのでしょうか 日本文化を誇りに思います。ポチッ。
Florentia55
2012/07/15 16:54
今回も充実した時間を頂きました。
他の方も良かった様で、又次回の機会が有りましたらとの事でした。
ありがとうございました、今後とも宜しくお願いします。
yuuji
2012/07/15 19:54
学生時代にも、42歳からの大学院時代にも、近くのお寺で座らせていただきました。座った後の爽快感が好きでした。炎暑と豪雪の上越のあのお寺が懐かしい。衣の袂で蚊を払うご住職の姿が焼き付いています。

2012/07/16 12:17
yoshiyoshi樣。
なんもかんも命あっての、話しということで。

花てぼ樣。
そうですね。後ろ姿が全てを語っています。

くろちゃん樣。
そうですか。それはよかったですね。どちらの御寺院樣か存知ませんが、板橋禅師の薫陶を受けられたと仰るなら、成仏間違いなしという坐禅ですね。ご精進を祈ります。合掌

くら樣。
「なにもの」にこだわらない生き方をしたいですね。

Florentia55樣。
永福寺の本堂です。日本文化を感じますか!私も一端の文化人?!合掌

yuuji樣。
御苦労さまでした。今月はもう一回出来そうですね。来月はお盆のころは出来そうもないので、ご了解ください。合掌

宙樣。
そうですか。参禅体験がおありだったのですね。ぶれない自己を持っておられる訳ですね。

市堀
2012/07/16 15:36
東川院という岩手のお寺さんです。
くろちゃん
2012/07/18 06:49
くろちゃん様。
ありがとうございます。
市堀
2012/07/18 10:04

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