再生への旅

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zoom RSS 生きていさえすれば・・・「遠眼差しの行方」

<<   作成日時 : 2012/07/17 04:07   >>

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子供元気で谺のごとし夏の朝 玉宗

能登半島地震に被災した折、興禅寺は全壊。夫人と共に九死に一生を得た状況だった。周りの人たちからも「いのちが助かっただけでも良かった。生きていさえすれば何とかなるよ」と励まされもし、私たち二人もその様に感じていたし、励まし合った再生の日々でもあった。
東日本大震災の多くの被災者の中にも同様の感慨を口にする方々がいらっしゃる。然し、その眼差しはどこか遠くへ向けられて、どことなく焦点が定まらない風にも見える。何もかも失くした人間たちの「遠眼差し」といったものがそこにはある。

生きていさえすればいい・・それも又運よく生き残った者の言い草にはちがいない。それを強く実感した被災経験だったが、生きて行く苦労がなくなる訳でもなかった。 そして、人は「ただ生きている」だけという訳にはいかないし、そのような現実に耐えられるほど鈍感でもない。「生きること」に「意味」がなければ「生きること」に張り合いがなければ、「死んだ方がましだった」と云いかねないことだってあり得る。

それでもなんとか再生を誓って歩み出した日々、それは私にとって予想もしなかった新鮮な日々でもあった。いのち生かされ、生きている事実に感謝の念が自ずと湧いていたことも事実だ。そして人生の目的が「再生」であることに違いはなかったのだが、「目的」を達成するしないは二の次の様な、その時その時の充実感が確かにあったし、それに後押しされ、引っ張れた、「充実した今」の積み重ねの日々でもあった。

あのとき、私の目は現実に見開いていたが、どこか遠くを見据えているようでもあった。「今」の正体がが「儚く、無常」なるものであること知った人間の「遠眼差し」。「今」に執着せず、「今」を蔑ろにしない。流れのままに、身も心も委ねて生きる。あの時は私は確かに「信仰」と言ってもよい「遥かなもの」に生きていた。

「生きていさえすれば、それでいい」

それはいのちの真相である。それはそうであるが、「今を生きることへの無執着、自在さ」がそのまま人生の本懐であるところまで再起するには、少しばかりの汗と涙と時間が欠かせないことも又現実なのかもしれない。何事も真相を受け入れることには手間が掛るものだ。然し、そこには苦楽を越えてやってくる「縁」の底力と言ったものが確かにある。身を捨てて浮かぶ瀬が必ずある。仏の彼方へ身も心も投げ入れてみて初めて広がる生きることの可能性。「死」はそのような生き方の総決算である。






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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
暑気払いしすぎて辛き二日酔い  よし
yoshiyoshi
2012/07/17 07:11
住職、おはようございます。暑いよ〜〜。

「人は死ぬ」という当たり前のことに何度も何度も直面しながら、人はウン十年かけて死んでいきます。生まれた瞬間から、私たちはその日に向かって歩き出します。その日を心置きなく迎えられるよう、私たちは「たっぷりと生きる」しかありません。
                  「夏井いつきの100年俳句計画」より

私、この夏井いつきって人好きだよ。元気だなあって思って見てたんだけどいろいろ悲しいことも経験しての元気だった。
昨日、私はとっても疲れていて久し振りに飲みに行った。冷酒をいっぱい飲んで話して話して最後は泣きながら飲んだ。
住職生きるって難儀だね、でも時々あ〜生きてるってなんて素敵なんだと思ったりもする。
住職の話は、難しくて時々わからんが読んでるよ。

こっこ
2012/07/17 08:38
フローレンスからボンジョルノ
”生きてりゃ 御の字”良く使う私の言葉です。ぽち   
Florentia55
2012/07/17 15:23
「遠眼差し」〜20年ほど前3年間過ごしたインドネシアの人たちの眼差しを思い出しました。当時10%の中国人に90%の経済を牛耳られていると言われれるほどに貧しい生活をしている人たちが大半でした。平均寿命も短く、医療体制も不備でした。しかし、人々は明るく、子どもを叱った声を聞いたことはなかったし、日本人が子どもを叱ると驚き悲しそうな顔をしていました。何が彼らの眼を澄ませ「遠眼差し」にしていたのか。ご住職のお書きになった」。<「今」に執着せず、「今」を蔑ろにしない。流れのままに、身も心も委ねて生きる。>を読んで、分かったように思います。インドネシアの子どもたちと交流しても握手さえできない日本人の子どもたち。外国にいても日本の受験戦争に巻き込まれていた子どもたち。これではいけないと3年間必死に「国際交流」の行事を積み上げました。100校近い日本人学校の中でも、最も多く「国際交流」に時間を費やした学校だったと思います。ゆっくり流れる時間、苗を植えれば半年もすれば実るバナナ、真の闇、満点の星、蛍の帯、命を大切に生きる生活・・・。私達日本人と何と違った眼だったか。それがいま少しわかったように思います。「生きていさえすれば、それでいい」。信仰心の篤いインドネシアの人たちには、そういう思いが自然に流れていたのかもしれない。日本にも帰国した子どもの何人かが今でも「澄んだ目」をしてくれているのが救いです。ありがとうございました。

2012/07/17 16:26
 とてもいいお話でした。
 遠眼差しでは、夫の母のことを思い出しました。日常の過ごし方が、私の母親とはまったく違っていました。何が違うのか、どうして違うのかと考えていたとき、広島で生活していて、原爆を経験されていることに気づき、これだなっと思いました。私の母は何でも大切にし、磨く人でした。義母はそのときそのときを感じて生きる術を知っているような人でした。
 どちらも亡くなって久しいのですが、今日は二人の供養ができました。      
 宙さんのお話ではインドネシヤのユニタワティという女の子を預かったときのことを思い出しました。やはり、20年位前のことで、彼女の話を聞いて、日本との経済状態の違いが、漱石の国費留学を思い出させました。彼女の父親は獣医で大学の教授で、車が5台くらいあり、お抱え運転手もいてお手伝いさんの居るような家庭のお嬢さんでしたが、ホテルの国際交流パーティーに着ていく紅型柄のフォーマルな洋服は、母親からの借り物、そして、母親に日本製のスーツを持っている3000円でお土産に買いたいといった事柄が、そう思わせたのでした。また、政府高官に給料が払えず、民間企業に人材が流れていくことを憂いて、国費留学などをさせて何とか人材を政府高官に留めたいと国が躍起になっている状況がうかがえました。
高々3っ日お世話しただけなのに、インドネシヤ政府からの感謝状が届き、鳩山さんのお父さんの友愛何とかから手厚いお礼のお手紙をいただいたりしました。当時は預かりはしたものの、インドネシヤをあまり感じることができませんでした。宙さんのコメントでそのころの国の人々の精神が伝わってきました。
深山あかね
2012/07/17 18:28
yoshiyoshi樣。
なるほど、暑気払いってのがありましたね。私も早速。

こっこ樣。
夏井いっき氏は名を存じ上げています。「俳句甲子園」を企画された方でしたね。あのバイタリテイーを裏付けていた人生の深みがあったのですね。
いつも小難しいブログにお付き合い戴きありがとうございます。これからもどうぞよろしく。
市堀
2012/07/18 10:10
Florentia55樣。
遠い異国でのお暮らし。恩の字にも一入のものがろうかと。

宙樣。
こちらこそ、教育の現場で生きて来られたお方の言葉に感動しております。共に今を生きているという感動が教育の情緒的バックボーンとしてあるのですね。

深山あかね樣。
生きて行く当り前さに、自ずから感動し、感謝できる情緒といったものをわすれてはいけませんね。自己に向き合うことのできて初めて人に心に感動し、人の心を開くのでしょうか。そんなことを思いまいた。合掌
市堀
2012/07/18 20:16

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