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zoom RSS 今日の教外別伝・「釣月耕雲」

<<   作成日時 : 2012/08/28 04:00   >>

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怒る気になれず耕しはじめけり 玉宗


「釣月耕雲」は道元禅師「永平広録、巻十(山居)」から取られた四字熟語である。

西来祖道 我伝東
釣月耕雲 慕古風
世俗紅塵 飛不到
深山雪夜 草菴中


「月を釣り、雲を耕す」一般的には以下のように解説されているようだ。

「世間で言えば意味の通らないことです。魚なら釣れますが月は釣れるものではあり ません。雲を耕すもまたおなじです。これは文字通りのことを言っているのではない わけで、魚でなく月を釣る気持ち、畑でなく雲を耕す境地。これは大きな自然の中の 存在からすれば月であろうと魚であろうと一つであります。同じであります。雲も自然であれば畑も自然であります。そうであれば、大自然も自分であるとすれば、月を釣り雲を耕し、大自然の中で遊べるのであります。
月を釣るという大きな釣りをやっている。雲を耕すというすばらしい真理の華を咲かせる心境になっている。この境地を「釣月耕雲」と表現しているのであります。」

といったような按配であるが、さて、私には解るようで解らない。といより、わざと解らなくしている様にさえ見える。常識の範囲で誤解して満足している、というんですか。

断って置くが、これは単に茶掛けの為に作られた言葉ではない。仏道の言葉、「道得」であり、「公案」である。「慕古風」とは仏道に生きるということだ。「文字通りではない」と言っているが、ある意味文字通りでもある。但し、「月」も「雲」も「自己のいのちの実相、つまり仏法」の象徴である。「月を釣る」とは「自己を釣る」のである。「雲を耕す」とは「自己を耕す」のである。
「釣る」も「耕す」も「自己に参ずる」様子であり、「行持」すると同義である。自己を虚しくして本来の面目に参じ究める精進の様子。自己参究の厳しい出家の生き方であればこそ、「世俗紅塵 飛不到」の転回なのであり、「西来祖道 我伝東」といった矜持を第一関として掲げ得るのではなかろうかと思っている次第。

大自然に抱かれて仙人の境地で遊ぶ、といった目出度い話ではなかろう。高祖の品位を手前に引き摺り下ろすのを悪いとは言わないが、違った領域の話であることを夢々失念してはならないのではなかろうか。

というか、私の教外別伝もいよいよ難解の様相を呈してきた観がある・・・。まあ、みんな好きなように釣月耕雲すればいいさ・・・。(ーー)






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山元八郎 驚異のグレ爆釣法
釣り道具もちょっと奮発して揃えたし、 マキエの作り方も本に書いてある通りにやった... ...続きを見る
おかねのなるき
2012/09/09 18:50

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一番を競わず里の捨て案山子  よし
yoshiyoshi
2012/08/28 06:53

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