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zoom RSS 今日の以心伝心./家族葬って何?

<<   作成日時 : 2012/08/29 04:11   >>

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葛咲くや消え入りさうな神の声 玉宗

最近テレビを見ているとつぎのようなコマーシャルが流れている。地域限定版なのかもしれないが。

「家族葬でいい、じゃなくて、家族葬がいい」

「家族葬」は葬祭業者のコピーらしい。時代を反映している、というか時代を反映させたいのだろう。そもそも「葬儀」は社会儀礼であり宗教儀礼でもある。その社会の様子がどうも変わってきている。核家族と言われて随分久しくもなった。地域社会の関わりも狭くなり、限定的なものにならざるを得ない社会の構造があるのだろう。「生活改善」といったことが言われ出したのも結構古い話だ。生活の無駄を省く指向は地方に於いても顕著になってきている現実があるのだろう。

死者を送る形も遺族の生活指向に左右される世の中になりつつある。それでいいのだとも思う。「人並」や「世間体」といったことで無理をすることはない。「自分並」でいい。それはそうであるが、人間多少見栄を張ったり、無理をしてでも義理を果たしたいといった人間がいるのも事実である。みな、それなりの精一杯の誠意を尽くして故人を送っていることが窺える。

輪島あたりの葬儀では親族郎党だけで五十人を越えることもあり、地域の縁者を含めると二百人からの葬儀参列者、僧侶の人数も五人を越えることも珍しくない。まだ「家族葬」といった言葉は流通していないようだ。身内だけの葬儀もないことはないが極稀である。

云うまでもなく、人間というものは家族だけではない広い社会的繋がりの中でいきている。気掛かりな事はその当事者である「故人」を送るに当たっての真心の所在である。そして、更に気掛かりな事は、「生」の共有だけではなく「死」の共有も又、狭められている現代社会の様相である。その要因には社会の経済状況だけではなく、宗教家のあり方も大いに関係していよう。

このような社会の潮流、揺れといったものは自然に収まるところに収まるものであるが、「家族葬」は現代の家族のあり方と共に「葬儀の本質」を我々に問いかけているには違いない。

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「雑詠」

国を憂ひて落栗蹴つてみたりもし

鬼ヤンマもの言ひたげに立ち去りぬ

破れたる国を憂ひて蛇穴に

秋団扇家内は何処へ行つたやら

月を呼ぶ今宵限りの花掲げ

露草の羽根のかたちのひと雫

美谷てふ風湧くところ草は穂に

秋の雲ひろがりひろがり他郷なる

かうしてはをれぬは秋の蝶も又

漣に足浸す子や実ハマナス

秋の海しづかに暮れて父ゐまさず

毬栗の転がる先に妻子あり

鰯雲この世に二人子を遺す

篭の鶸目を患ひて止まり木に

向日葵やカレーはいつも大盛りで

酢の中の茗荷色づく西鶴忌

百日紅太陽いよよ避け難く








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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
懸命に鳴くが憐れや秋の蝉  よし
yoshiyoshi
2012/08/29 07:02

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