再生への旅

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zoom RSS 供花・無常心を供える

<<   作成日時 : 2012/08/03 04:17   >>

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世を拗ねて夏花を摘むに似たりけり 玉宗

普段、禅宗の場合は供花として「榊」を使うことが多く、近隣の山へ出掛けて枝ぶりのいいものを切ってきては供えている。
然し、年に四回ある恒例行事には彩りのある季節の花々を供えるようにしている。殆ど、檀家さんから戴いたものを使っている。それは市内の「鬼屋地区」という本山の歴史と関わりの深い里山に棲む信仰心の篤い檀家さん達から施された花である。

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毎日茹だるような暑さが続いており、供花も毎日水を替えないと直ぐに干上がってしまう。興禅寺の施食会法要の前日、件の篤信家さんのところへ本堂に飾るお花を貰いに行って来た。夫人同伴である。案の定、あれもこれもと夫人の興味は尽きることが無い。抱えきれないほどの花を戴いた。一体どうやって活けるつもりなんだろうと気が気ではなかった。

ところで、寺院関係の仏具業者のカタログには造花の供花が品揃えされている。結構いいお値段ではあるが、本物と見紛うばかりの偽物ぶりである。何度か夫人に造花を買いそろえないかとオネダリしてみるのだが、その都度膠も無く却下される。

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「見てごらんよ、これ。本物そっくりだ」
「嫌です。お父さんがそんなこと言うとは思わなかったわ。もう、最低!」
「最低はねえべよ・・・。造花だって供花としての真心の形には変わりないと思うけどね。」
「手間を省きたいだけなんでしょ・・要するに。」
「んなこと言うけど、いつもナマ花を探したり、活けたりするお前のシンドイ様子を見ていると、手間を省いてやりたいという儂の心が解らんかのお・・・。」
「ありがとう。でも、私、こうやって花をいじっているのが楽しいから、ご心配には及びませんよ」
「あっそ。ならいいけどね。そりゃ儂だってナマ花が良いと思っておるわいね。」

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いつも供花作務は夫人に任せっぱなしである私にはそれ以上のことを言える筈もなかった。それにしても、供花、つまり花を供える事は花を供養する事であり、花に心を寄せ、花と一体となっている人の心を点じることには間違いない。夫人の指摘するように「手間を省く」ことの誠意と「花の心を供える」という真心の関係を本末転倒してはならないのだろう。「手間を省く」という貧しい心が天に通じる訳もなかった。少なくとも、興禅寺のような小さいなお寺ではまだまだ十分生け花を供える苦労など取るに足りないのが実際ではある。

今できる精一杯の精進で花のいのちに対し、花のいのちを供養し、花の諸行無常を点じていこうと思っている。







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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
百合落ちて道の遠さに項垂れる  よし
yoshiyoshi
2012/08/03 16:14
小さな仏壇です。それに合うように、妻が庭からの一輪の花を欠かさず挿します。「懺悔文」を唱え、感謝と誓いと願いと反省をつぶやく私の朝に、花はいつも新鮮です。妻は仏前に手を合わせませんが、私以上に信心深いのかもしれない。
お彼岸とお盆の供花も妻が用意します。私は近所のスーパーで買えばいいと思うのですが、妻は30分もかけて買いに行きます。花がきれいで長持ちするからといいます。そのほうがお父さんたちが喜ぶでしょうと。
妻には頭が上がりません。仏前での祈りだけでなく、妻へ感謝の言葉もしっかりと伝えなければなりませんね。
ありがとうございました。

2012/08/03 16:17
百日草、私の大好きな花です。所謂、おんばちゃん花でもあります。野の草など活けられるところご夫人、私と似ているところがおありのようです。(う〜ん、似てない!・・・玉宗)
花てぼ
2012/08/03 16:37

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