再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 原爆忌

<<   作成日時 : 2012/08/06 04:10   >>

トラックバック 0 / コメント 5

画像


蛇口より叫ぶ声して広島忌 玉宗

核の抑止力というものがあるのだという。使用しなければ核は武器ではあるが武器ではなく、平和を維持するための分銅のようなものだという。暴力を無意味化する為に暴力を保持し続けるのだという。暴力は相対的なものである。行使したくなる相手があってのことだ。つまりいつまでも武器を捨てないのはいつまでも相手があることを想定してのことなのであろう。人類発生以来、暴力が絶えたことはない。暴力は本能でさえあると言いたくなる。人類の進化、それは暴力を如何に押さえて来たかではなく、暴力を行使する正義を学んできたかの如くである。

核爆弾が人類の愚かさの象徴であることは誰もが分かっている風である。然し、解っていても、どうすることも出来ない、どうすることもしない風でもある。もの解りのいい現代人の絶望も又、極めてリアリテイのないもになってしまった。これも「情報化社会」に浴する故の業であろうか。

私という素手以外に武器をもたない小さな存在が、どうしたら暴力を行使せず自己に落ち着いて生きていくことが出来るか。それを学ぶのが仏道である。仏道的には暴力は畢竟自己破壊である。行使するべき相手がいないのだから当然そういうことになる。換言すれば仏道の慈悲もまた相対的なものではないということだ。仏道がそういうものでないならば煩悩抑止力を持たない「正義や平和」に利用される閑家具に過ぎないだろう。

暴力の愚かさ、戦争の悲惨さが学習されないのは、個々の冒し難い命の絶対性への尊厳さが抑止力を持たないからだ。つまりどこまでも「相手・他・外」があってのことだからだろう。暴力がそのような人間力のパワーバランスであるならば人類は永遠に「行使するべき相手」を想定し続けるに違いない。

現実と理想。社会と個人。それは双子の兄弟のように分かち難く、そして全く別のもののごとく歩む。そのような世界の矛盾の為に私は存在するのだろうか?しなければならないのだろうか?社会とは個の集積だろうか?それは全く別の生きものなのではないか?
「私の現実」とはすべて、「私」という「小さな可能性」が「何をしたか」「何をしなかったか」という足跡であり、「愚かさ」とはやはり、私が私自身を知らないことである。社会の愚かさはそのような個の愚かさの集積として制御不能となる。

釈尊は個が単に社会の要素としての量的存在なのではなく、私一人のいのちの絶対的領域に生きる何物かであると諭す。命の深さへ向けて自己変革のアプローチに専念せよと云っている。自己の変革は世界の変革であるという確信がある。理想がある。それを為政者や社会は弱者の戯言と言う。釈尊にはどこかにそのような人間や社会の愚かさを見切っているようなところがある。

嘗て王室で暮らしていた釈尊。その王国が戦争で滅んでゆこうとしているのを見て、出家した彼は立ち上がり武器を手に戻ることはなかった。煩悩と云う情報に振り回されることもなく、ただ、黙って坐禅をして自己のいのちの深さに居座った。宗教が抑止力となる瞬間。一粒の種が地に落ちる瞬間。

暴力から意味を剥奪するならば、核を持たない抑止力と云うものもあるのではないだろうか。丸腰の人間を意味もなく殺めるほど人類は傲慢なのだろうか?歴史は「そうだ」と言っている。畢竟、宗教は戦争と云う愚かさに対して無力であるか。然し、それは人間に絶望することと同じ愚かさなのかもしれない。人間がそうであるように、宗教もまた可能性の上の存在するものであるには違いないのだから。

画像



「原爆忌」

瘡蓋のべろりと剥げる原爆忌

今も尚灼けつく原爆ドームなり

零れたる閼伽すぐ渇く原爆忌

油断して原爆投下の日を過ごす

原爆忌雲が怒りのやうに湧き

八月六日わが愚かさに手を合はす

広島忌影を探して歩むごとし

広島は寡黙に怒り雲の峰

原爆忌後ろの正面顔がなく

原爆忌空に漲る虚しさよ










ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ





テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
冷麦を棚の奥へとしまひけり  よし
yoshiyoshi
2012/08/06 07:23
おはようございます

緑をくぐっていった先は光が輝いているようです。蝉でしょうか、カブトムシでしょうか。静かな夏の景色ですね♪

いつまでも平穏な夏を迎えられる世界であってほしいと心から願っています。

                合掌
kingyo
2012/08/06 08:22
フローレンスからボンジョルノ
命にポチります。この日常がまだまだ続く事を願いながら。
Florentia55
2012/08/06 16:25
久しぶりに貴ブログを拝見。考えさせられます。人間(もちろん私を含めて)の「愚かさ」は自分を知らないことではなく、むしろ自分を安易に知っているつもりになっている傲慢さにあるように思います。かつて宗教の名で、またイデオロギーで戦争してきたし、いまも続けています。同じ宗教と言っても私は仏教に大きな可能性を感じています。
くら
2012/08/06 16:33
みなさま、コメントありがとうございます。
原爆忌を伝えていくことに日本の使命がありますね。自分の愚かさに向き合う日、そして可能性に向き合う日にしたいですね。合掌

市堀
2012/08/09 19:25

コメントする help

ニックネーム
本 文
原爆忌 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる